父とわたしの水虫奮闘記

物心がついた頃には左足の爪が全て水虫に浸食されており、いびつでぐちゃぐちゃな形状になっていた。父親から移されたものだった。幼稚園に入る前に、よく父親と寝転がりながら互いの足を合わせて遊んでいたらしい。自分が中学生になった頃に父親は「あの頃のことを申し訳なく思っている」と言っていた。

小学校低学年までは特に気にしていなかったのだが、3年生ぐらいになると、周囲の友人も「水虫」という単語を覚え始めて、そしてその「水虫」が「汚い」ものだと言うことを認識し始めている、ということを会話の流れから自分はつかんでいた。自分はというと、家庭内でしょっちゅう水虫のことが話題になっていたので、それより遥か前に水虫のことがわかっていた。

そうなってくると次第に「水虫がバレたらどうしよう、虐められる」と言う恐怖心が芽生えてきた。小学校は原則靴で通わなくてはならないため、裸足になる機会は少ないが、プールや運動会の裸足になる時期などは気が気でなかった。絆創膏を貼って汚い爪を隠したり、右足で左足を隠したりしながら、なんとかやり過ごしていた。

親に話すと「子供がそんな細かいことを気にするはずがない」みたいに取り合ってくれなかったのだが、自分はそれを信じることができなかった。というのも、当の子供である自分が爪水虫のことを気にしていたからだ。同い年の友達にも水虫に気付くポテンシャルがあることは明らかだった。そしてみんなで裸足になる時は「自分の仲間がいないだろうか?」と友達の爪を片っ端から観察していた。残念ながら自分みたいに汚いグチャグチャの爪をしている友人は1人も見つけることができなかった。

一番つらかったのはサンダルが履けなかったことだ。サンダルでは爪を隠すことができずに、爪水虫を持っていることが友人にバレてしまう。夏に友人らがおしゃれなサンダルを履いて楽しそうに遊んでいるのに、自分はいくら暑くても頑なに運動靴を履き続けた。履き続けるしかなかった。

水虫治療も物心がついた頃からしていた。といっても塗り薬を塗るだけだが。当時から父親は水虫治療に熱心で、家には病院からもらってきた塗り薬が常時複数個あった。それに加えて、父親は溶けたロウソクを水虫患部に垂らして熱で水虫菌を殺すという試みもやっており、自分も小学校の高学年あたりからその治療法にも強制参加させられた(ただ、ロウソク治療は最初は苦痛なのだが、途中からあの熱さが癖になり、次第に自分から進んでやるようになっていた)。

極め付けは「木酢液(もくさくえき)」を使うというものだった。自分も未だに木酢液がどんなものなのか、よくわかっていないのだが、どうやら炭を作る過程で生成されるらしい。そして、木酢液には殺菌作用があり水虫治療にも使われると聞いた父親は、すぐに木酢液療法も採用し、そして自分もまた半強制的にその治療法に巻き込まれた。当時すでに中学生になっていた。

塗り薬もロウソクも爪水虫には全く効果がなかった。だから木酢液も効果がないだけならまだ何とも思わなかったのだ。ところが、この木酢液とやらは異常に臭いのである。木酢液を浸した水面器に足を付けて10分くらい待機するのだが、その後いくら水で洗っても、2日間くらいは強い独特な刺激臭が続くのである。

流石に靴を履くと分からなくなるのだが、靴下ぐらいではあの強烈な刺激臭は防げないのだ。中学校の学年集会で体育館に靴を脱いで集まった時に、あの強烈な木酢液の匂いが自分の足元からした時の恐怖は未だに忘れられない。本当にバレやしないかと気が気でなかった。

自分の父親は目的への最適解を選ばずに、あえて効果が乏しい非効率な方法を選んでしまう癖がある。実家が貧乏でお金を節約する目的もあったのだが、一番わかりやすい形の「安物買いの銭失い」をしてしまい、なおかつそのことを学習しないのだ。一体何度、中古の一番安い原付を購入し、何度故障して廃棄処分したか分からない。壊れるたびにまた安い中古の壊れかけの原付を買うのだ。多分、一回だけ新しい原付を購入し、長持ちさせた方が金銭的にも遥かに節約になったであろう。

水虫に関してもそうだ。多分、当時から父親も「水虫には飲み薬一番効果がある」ということは知っていたはずなのだ。でも、「もったいない」と感じるのか、なぜか飲み薬は選ばずに、効果の薄い塗り薬を買い続けていた。

塗り薬もロウソクも木酢液も、どれも爪水虫には効果がなかった。そして、爪水虫が治らないからか、足の皮の水虫もどんどんひどくなっていった。中学生以降は思春期の尋常じゃないストレスも重なり、ほぼ自傷行為のように爪切りやハサミで汚い足の爪や白く分厚くなった足の皮を夜な夜なえぐって、むしり取っていた。よくえぐり過ぎて出血していたが、それでも自分はやめられなかった。今にして思えば、よく大怪我に至らなかったなと思う。

不遇の中高生の時代が終わり、大学入学時に親元を離れて一人暮らしを始めた。そして、それとほぼ同時に自分は皮膚科に通い、水虫の薬を飲み始めた。水虫の飲み薬は成長を妨げるとも言われており、中高生で成長期だった自分は飲み薬を飲ましてもらえなかったのだ。すると、本当に驚いたことに、10年以上ずっと汚かった足の爪が、薬を飲み始めて1~2ヶ月の内に、みるみる綺麗になっていったのだった。

「え、こんなに早く簡単に治るの?」という感じだった。今まで10年以上塗り薬とかロウソクとか木酢液と戦っていたのは一体何だったのであろうか。。。

その夏、自分は晴れてあの憧れ続けたサンダルを履くことができた。あまりに嬉しくて、バイトで貯めたお金で、高いサンダルを二足も買った。小学生の頃から10年以上も憧れ続けたサンダルに、遂に自信に満ちた気持ちで足を通すことができたのだった。

その後も現在に至るまで足の爪は綺麗なままで、夏は必ずサンダルを履いている。西洋医学万歳である。

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