うつ病寛解のための3ステップ

独学でのうつ病寛解に取り組んで、丸4年、カウンセリングに通い始めて、丸3年、もうそろそろ自分がこれまでに得たうつ病に関する知見をまとめてみようと思う。

先に書いておかなければならないのは、自分は医者でないし、自分のうつ病も投薬を一切伴わない軽症なものであったということ(薬を飲んでおけばもっと楽だったかもとは思う)。それでも十分苦しかったし、最初の2年くらいは終わりのない地獄を見ているかのようだった。

なので、この治療法も、あくまで自分のカウンセリング経験と読書に基づいたもので、万人に共通して言えるものではないと思う、ということを述べておかねばならない。

自分のうつ病治療法は読書とカウンセリングだった。人によっては読書ができないほど、うつ病の症状が重くなる人もいるようだが、自分は読書ができなくなったということはない。その意味でも自分は軽症だったのだと思う。

2015年の5月にうつ病を発症してから約5年半、猛烈に読書し、猛烈にカウンセリングに通い、猛烈に日記をつけ、その過程でようやく「楽に生きられるパーソナリティー」というのを身につけつつあるように感じられる。読書と日記は自分1人でもできるが、自分にはカウンセリングが必要だった。カウンセリングがなければ、こんなに早く(5年を早くと言っていいかわからないが)うつ病が寛解に向かうこともなかっただろう。自分には「自分の苦悩の物語」を誰かに聞いてもらう必要があった。

カウンセリングに行き始めたのを本格的な治療とするならば、まる3年である。その過程で、うつ病の寛解への道のりには、大きく3ステップあるということに気がついた。主に、読んだ本の紹介という形になるが、その3ステップを順に説明していきたい。

なおこの記事は加筆中で、各々の項目に、読んだ本の紹介などの別の記事を追加していく予定である。

ステップ1 うつ病であることに気付いて、認めること

うつ病寛解のための最初のステップは「自分がうつ病であることに気づき、認める」ことである。このステップがないと、うつ病寛解のための治療ステップに移行しない。

経験的にだが、仕事の激務などを経験しても、しばらくは脳機能の低下に気付きにくい時がある。この時は、何か異変があっても「気のせいかな?」と思い、特に自分をケアしないことが多い、が理想的にはこの「緩やかな下降」の段階で、異変に気づくことができると良い。

自分をケアすることなく、緩やかに脳機能が低下していっている段階で、ある時急に、ストンと脳機能が落ちる時がある。この時にようやく「何かがおかしい」と異変に気づく。しかし、そこからうつ病治療に取り組んでも、回復は緩やかで、好調不調の波を低空飛行で繰り返す。この時期は「うつ病が治らない」と感じる日々が年単位で続くことが多い。

うつ病とは言わば「脳機能の低下」である。そして、その脳機能の低下には軽症から重症までグラデーションがある。自分がうつ病であることを認めるということは、脳機能の低下を早く食い止めるという意味で、非常に重要なステップなのである。うつ病治療の最初のステップは「脳機能の低下のストップ」である。

もし、日常的にどうしようもない苦痛を感じていても、「自分はまだ大丈夫」とうつ病であることを認めないと、脳機能はどんどん低下していって、うつ病が重症化してしまう。うつ病であることを認めずに、自分の体に鞭を打ち続けると、行き着く最終地点は「死」である。「過労死」とは自分がうつ病であることを認められず、休息の段階に移行できなかった場合のことなのかなと、最近思っている。

自分の調子がおかしいことを認められると、心療内科に行って投薬を開始したり、仕事を休んだり緩めたり、カウンセリングに通ったり、治療の段階に入ることができる。気付くのが早ければ早いほど、難治化を避けられるので、できれば早く自分の異変を受け入れられる方がいい。仕事や勉強を休んだりすることに抵抗があるかもしれないが、早く治療に取り組んだ方が、その分、寛解も早くなる。

ステップ2 ストレス源から離れ、脳機能をある程度回復させる

ステップ2では「低下した脳機能の回復」である。このステップでは、回復と同時に、ステップ3の「パーソナリティーの変容、追加」と同時に取り組むことになると思う。

下記の本で紹介するように、うつ病になる人は、もともとうつ病になりやすいパーソナリティーをしている。つまり、脳機能が低下しやすいような、ものの考え方や、対人関係のパターンをしているということだ。いくらステップ2で脳機能を回復させても、社会復帰した時に、以前と同じような生き方をしていると、結局また脳機能が低下して、うつ病が再発してしまう。よって、ステップ3は「脳機能が低下しにくいパーソナリティーを身につける段階」である。

ただし、ステップ1で言及したように、うつ病が重症化してしまうと、本が読めなくなったり、そもそもベッドから起き上がることが不可能になったりする。しかし、ステップ3では本が読めたり、カウンセリングを受け、過去のトラウマを文章化したりと、ある程度は脳が働くことが前提となっているのだ。

なので、ステップ2で本が読める程度には脳機能を回復させ、その後、脳機能の回復と並行して、ステップ3の「脳機能が低下しにくいパーソナリティーの取得」に取り組む、そんな感じである。脳機能をある程度回復するのに、薬を使うのも一つの手だと思うが、自分は投薬経験がないので、そこに関しては深く言及することができない。

ステップ2では、とにかくストレス源から離れることが重要だ。単に仕事や学校を休めばいいというものではない。

例えば、いくら仕事を休んでも、家族の理解を得られず、家で仕事を休むことを非難され続ける、というような状況だと、結局脳に負荷がかかり続けてしまうため、なかなか脳機能が回復しない。

うつ病の例えとして、「心(脳)の風邪」とか「心(脳)のガン」などが言われているが、自分としては「心(脳)の骨折」くらいが、うまく、うつ病を形容できているのではないかと思う。風邪みたいにほっといたら数日で治るというほど、簡単には治らない。けれど、ガンみたいに数ヶ月で死んでしまうというほど、重くもない。骨折のように、ギブスをして、一定期間安静にしていれば、多くの場合、寛解するというのがうつ病だと思う。

問題は手足の骨折と違って、脳にはギブスができないということである。脳というのは生命の中枢であり、脳を使わずに生きることはできない。手足と違い、どんな瞬間においても脳は働いている。うつ病は、脳の骨折である、けれどギブスはできない、だから治療が難しいのである。

理想的には人の少ない田舎で、誰からも自分の存在を批判されることなく、ゆっくり療養するということが望まれる。手足にギブスをするみたいに、安楽の地で徹底的に脳を休ませるのだ。

でも、一体誰が、今の日本の不況の社会環境で、そんな理想的な療養ができるというのだろうか?食料と住居がなければ人は生きていけないし、そのためにはお金を稼がなくてはならない。生活保護などの社会福祉に頼るといっても、それらにも限界がある。

うつ病治療の本ではよく「仕事を辞める」ことが推奨されるが、今のセーフティーネットがほとんどない日本社会ではそれが難しい。

もちろん、「仕事を辞める」ことができれば、それが理想的である。上に書いたように、うつ病が重症化しても、なお働き続けた最終地点は「過労死」である。それでも、奨学金の返済を背負っている場合とか、一度ドロップアウトしてしまうと戻れない会社とか、仕事を辞めるのが困難な理由は本当に山ほどある。

「仕事を続ける」と「仕事を辞める」の白黒思想に陥りだが、その間にはグラデーションがある。「同じ会社の楽な仕事に変えてもらう」とか「働きながら、もっと楽な職場に転職する」とか「休職」するとか、「辞める」という最終手段の前に、もっと色々方法はあるはずだ。

法的に与えられた権利を最大限に駆使し、お金をもらいながら、うつ病寛解に取り組める環境を模索しよう。がめつく感じられるかもしれないが、多分この世はそういうものなのだ。法で許されるなら、がめついくらいがちょうどいい

わたしのアメリカ療養

かくいう自分は、「楽な職場に移れた組」である。日本にいた時の研究室内の、熾烈な競争、支配的でダブルバインドを仕掛けてくる教授、常に誰かの悪口を言っている同僚、そんなストレスレベルの高い職場で、朝から夜11時まで残らなくてはならず、なおかつ土日もどちらかは研究室に行かなくてはならなかった。休みの日は夕方まで起きることができなかった。そして、食事は夕食の一食とビールだけで、それを平げて深夜3時に就寝し、また月曜日から研究室に向かう、という生活を6年近く続けた。

アメリカの研究室に移ってからは、まず夕方5時に帰っても誰かから怒られるということがなかった。そして、朝も10時までに来れば、大丈夫。ストレスで悪口を言い続ける者もおらず、ボスも支配的でなく、定時で実験していれば、文句を言われることもない。今の職場では「誰かが誰かの監視をしている」ということが全くないのだ。

そして、基本的な英語以外は自分は理解できないため、必然的に職場での会話量が激減する。自分にはこれが良かった。日本の研究室では、日本語が通じてしまうばっかりに、全てのネガティブな会話が理解でき、なおかつそれに付き合わなくてはならなかった。言葉が通じないと、ポジティブな会話も生まれないが、ネガティブな会話も生まれない。うつ病を寛解するにあたって、この「言葉が通じない」という環境が、自分にとって最適であった。

思い返すと、日本でうつ病を発症した頃は、頻繁に「無人島にいきたい」と思っていた。日常がネガティブな人付き合いで埋め尽くされてうんざりしていた。異国では、それに近いことが実現できる。人はいるが、言葉が通じない。アメリカに来た当初、ここは自分にとって「擬似的な無人島」であった

アメリカに来てから、自分のように、日本の研究室でメンタルを病んでしまった者に何人か会った。そして、自分と同じく、彼らもアメリカの研究室で、悠々自適に楽しく仕事ができていた。自分と彼らはこれを「アメリカ療養」と呼んでいた。

ステップ3 うつ病を発症しにくいパーソナリティーを身につける

うつ病寛解のための最終ステップは「うつ病を発症しにくいパーソナリティーの獲得」である。一言で言ってしまうと「性格を変える」ということであり、「それが簡単にできたら苦労しない」と言えるような類のものである。でも、このステップに取り組まなければ、うつ病の苦しみからは脱却できない。

自分はこの着想を、宮島賢也さんが書かれた、自分の「うつ」を治した精神科医の方法 で学んだ。またこの本が紹介されてある、田中圭一さんの「うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち」は自分がうつ病であることに気づいた、きっかけの本で、自分のうつ病治療はここから始まった。

以下に、この本の中で、自分が最も印象的だった箇所を引用させていただく。

うつになった人は、「うつになる人特有の考え方」をしています。そういう考え方をするから、うつになるともいえます。ですから、うつ状態から脱するためには、まず何より、その特有の考え方を変えることを勧めています。

自分の「うつ」を治した精神科医の方法 3章 宮島賢也

たとえば、家庭の警報装置がけたたましく鳴ったとしましょう。「うるさい」と、スイッチを切って、終わらせるでしょうか。もしも火災なら、消火しませんか。薬を服用してうつの症状を抑えるのは、警報装置を切っただけで、火災を見て見ぬふりをしているのと同じことなのです。薬を飲みつづけるということは、警報装置をオフにしっぱなしにしているということです。症状を消すことはできますが、うつの根本原因は解決されていません。

自分の「うつ」を治した精神科医の方法 2章 宮島賢也

つまり、パーソナリティーの変化に取り組まないと、結局、脳機能が低下しやすい状態が維持されてしまい、いくら一時的にうつ病が良くなったとしても、すぐに再発してしまうのだ。火災報知器のアラームを切るだけでなく、火災そのものを止めなくては、うつ病は寛解しない。

このステップは本当に難しく、みんながみんなできるものでもないと思う。でも、本当に苦しみから脱したいのならぜひ挑戦してほしい。

イメージとしては、「性格を変える」ではなく、「性格を追加する」感じだ。アプリのプラグイン、アドオンと似ている。成人した大人が、根本の自分を変えるとはほぼ不可能だが、「新しい自分」を「大元の自分」に追加していくことは可能である。

「性格」という言葉も実は曖昧で、紛らわしい。性格というと一見個人の内面を表すようだが、実際のところは外面、つまり行動や言動が性格になる

例えば、あなたは、友人の性格を言い表すとき、友人の何を参考にするだろうか?超能力を使って、その友人の心の中に潜り込むだろうか?当たり前だが、そんなことはできない。

結局、その友人の「言ったこと」や「行ったこと」という、「友人の言動」を元に、その友人の「性格」を判断することになる。逆にいくらその友人が「自分はこういう性格だ」と主張しても、言動が一致しなければ、それは嘘だと判断される。性格とは内面のようで、結局は外面で判断される。

逆の言い方をすれば、「言うこと」や「やること」だけを変えさえすれば、性格は変わったことになるということである。つまり、うつ病寛解のためにパーソナリティーを追加するというのは、「言動のパターンを増やす」ということである。

この記事において、このステップが最も長い部分になる。本日から随時加筆予定であるが、簡単に自分が行ったことをまとめておく。

  1. 自分の過去を共有できる、カウンセラーさんを見つける。
  2. うつ病を発症した、直接的な原因、またトラウマがあれば、それを整理し、カウンセラーさんに聞いてもらう。自分は研究室や恋愛でのトラウマを全て日記としてまとめて、カウンセラーさんに提出した。「紙に書く」という行為は自分にとって非常に有効だった。一度、文章化して印刷すれば、自分のトラウマが永遠に文章化された状態で留まり、もうトラウマを反芻する必要がなくなる
  3. もっと、過去を遡り、両親との関係、思春期の過ごし方、など、溜め込んでいた過去の不満に関しても、文章化し、カウンセラーさんと話し合う。自分はカウンセリングに取り組むまで、相談相手というのがいたことがなく、30年近く、幼少期からの全ての不満を自分の中で熟成させてきた。これらを全て文章化すると、うつ病発症の原因となったトラウマと合わせて、文字数が10万字を超えた。
  4. パーソナリティーの種類を学習する。うつ病寛解に取り組んでから、実は社会での困った対人関係というのは、多くの場合、類型化できるということを学んだ。Twitterなんかを見ていると、うつで休職している人の多くは、似たような経験を職場でしている。大抵、職場で問題を起こすのは、サイコパスとか自己愛性人格障害とか、パターンが決まっているのだ。逆にそれらのパーソナリティーを学ぶと、状況を俯瞰的に把握することができ、気持ちの面でだいぶ楽になる。
  5. 認知行動療法に取り組み、自分の認知の歪みにきづく。
  6. 最終ステップ。そして、それらの知見を元に、これまでとは違う言動パターンを実践していく。

そして、最終的には、政治に訴えかけて、日本の社会のシステムをセーフティーネットの多い、過ごしやすい社会に変える努力をしなくてはならないのだと、最近は感じている。

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