最近は、小学生時代の悩みを振り返ることが多い。
心理的な悩みだけでなく、忘れていたのだが、身体的な悩みもずいぶん持っていた。どれも重度というほどではないのだが、両親からしても、手のかかる第一子だったのではないかと思う。
物心がついた頃から小学一年生までは、肘の関節がよく抜けていた。どういうきっかけで抜けていたのかはもはや覚えていないのだが、友達とふざけ合っているうちに力が入り抜けることが多かったように記憶している。関節が抜けるとものすごく痛く、泣き喚いていた記憶がある。
両親が医者から治し方を習い、肘の関節が抜けると、両親に治してもらっていた。小学一年生の頃には、自分でも治し方がわかり、抜けたら自分で戻せるようになっていた(元祖キルア)。肘の関節が抜けるのは小学校1年生までで、それ以降は抜けた記憶がない。
小児喘息も物心がついた頃から患っていたように思う。でも、海馬がまだ発達していないからか、理由はわからないのだが、小学生低学年まではあまり喘息で苦しんだ記憶がない(苦しんでいたはずなのだが)。だが小学生高学年あたりから、発作の苦しさで夜眠れないことを明確に覚えている。息をしようにも空気が肺に入ってこず、ずっと苦しい息をしている。息苦しくて寝れない。体勢を変えたり、色々な手を打ってみて、夜通し症状の改善にトライする。母がずっと隣にいてくれ「明日の朝、病院連れてってあげるから」と言ってくれる。
翌朝、近くの病院に連れていってもらい、吸入をしてもらい、肺が広がって楽になる。そして、少し遅れて小学校に行く。そんなことを何度経験しただろうか。
体が成長するにつれて、喘息に対する耐性もできて、症状は寛解していった。最後の発作は高校一年生の頃でそれ以降は発作が出ていない。ただ、アメリカにいた頃、咳が止まらなくなったことがあり、医者にメプチンを処方してもらった。
小学生の中頃から中学生ごろまで、体に巨大な蕁麻疹が出るようになった。季節の変わり目とか、環境の変化(学年が変わるなど)がストレスになり、蕁麻疹が出ているというのが医者の見解だった。蕁麻疹は痒いのだが、喘息以上に対処法がなく、痒いのを我慢してただ耐えるしかなかった。時間をかけて徐々に引いていき、忘れた頃にまたたくさん蕁麻疹が出てくる、というのを定期的に経験していた。蕁麻疹の症状は、中学生の頃を最後に出てこなくなった。
当時、これらの身体的な患いはものすごくしんどかったのだが、今まで書いてきた心理的な悩みと比べて、思い返すということがほとんどなかった。
おそらくこれらの症状が「恥ずかしいもの」ではなかったからだと思う。肘が抜けたから、喘息の発作があるから、蕁麻疹が出るからという理由でいじめられるリスクは、小学生ながら、まるで感じられなかった。肉体的にはしんどかったが、症状が終われば、苦しさはすぐに吹き飛んでいった。
もう一つは、両親が必死に看病してくれたからだと思う。子供達の内面的なケアをすることは、ものすごく苦手な両親だったが、これらの「病気」に関してはものすごく丁寧に、親身になって、一緒に苦しんでケアしてくれた。
私はちゃんと愛されていたのだ。

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