30過ぎて、ようやく母親離れできてきた

30歳を過ぎてようやく母親離れできてきたように感じる。

先日、ラボ内のグループミーティングの発表が自分の担当であり、いつもと変わらず精魂尽き果てながら、なんとか完成させた。留学中であり、グループも全員外人なので、もちろん全部英語で発表しなければならない。それに加えて、現在はコロナで発表もZOOMやWebexといったオンラインツールを用いている。回線の悪さとか、また独特なストレスが存在し、発表の負担がより重くなっている。

ずっと研究者として生活してきているため、今までも幾度となく、研究発表の機会があった。しかし自分は口頭で何かを説明するのがそれほど得意でなく、発表途中にこんがらがって、止まってしまうこともよくあるので、ポスドク生活を数年経ても発表が苦手だ。おそらくこれは一生変わらないと思う。

こういう何かを達成した後に、自分は決まって母親に電話していた。なぜ電話していたのかは自分でもわからない。褒めて欲しかったのか、とにかく、頑張ったことを誰かに報告したく、パートナーもいないので、母親に連絡していた。世の男性は何かを達成した時に、パートナーに報告するものなのだろうか?それすらも30歳を超えてわからない。でも自分のパートナーが、そういう「頑張った報告」を受け入れてくれなかったら、結構つらい、というかもしかすると耐えられないかもしれない。

大学入学と同時に親元を離れ、一人暮らしを始めた。自立には、生活的自立、経済的自立、精神的自立の三種類があると言われているが、自分は生活的自立に関しては18歳の頃からできていたと思う。実家にいた頃から、よく家の手伝いを小遣い制でさせられていたし、家事や料理を苦に感じたことはない。

当時、実家は貧しく、風呂掃除1回10円、洗濯たたみ1回10円、みたいな感じで、全てのお手伝いが10円で金銭化されていた。風呂掃除の場合、毎日したとしても、310円しかたまらない。周りの友達が千円単位で小遣いをもらっているのも何となく知っていたが、家が貧しいのも承知していたので、自分は家事をしまくった。当時からお金には貪欲で、妹に先を越されないように、風呂の水が抜かれると同時に風呂掃除をしていた。当たり前だが、風呂掃除ができる権利は1日に1回しかない。

そんな容量で全ての家事をやりまくっていたおかげで、社会人になっても家事が全く苦痛でないのだ。包丁の使い方も小学生の頃から学んでおり、りんごの皮むきがクラスで一番うまかった。これは家事とは関係なく、火とか刃物が好きだったのである。男の子だしね。

経済的自立もなんとかできている。しかし、こればかりは今後も保証されるかはわからない。一応、研究機関という偏った組織ではあるが、7年ぐらいは毎年黒字で給料をもらいながら、貯金もしつつ生活できている。しかし、いつ組織に所属できなくなるかはわからない。そうなった時にフリーランスで大金を稼げるような才能は自分にはないと思う。経済的自立には現時点ではできているということだ。

精神的自立というものが具体的にどういうものかはわからないが、「精神的な母親離れ」というのが一つの指標になると思う。大学の頃は、困ったことがある度に母親に電話して話を聞いてもらっていた。大体週に一度くらいは電話していたように思う。アメリカに来てからもそれはあまり変わらなかったが、今年に入ってから、ほとんど自分から連絡しなくなってきた。それでも大丈夫なのだ。今は少し頑張って意図的に連絡しないようにしている。なんのきっかけでこうなったのかは自分自身よくわからないのだが、「そういう少しのきっかけが、やがて大きな本流になるかもしれませんね」ということをカウンセラーさんにも言われた。

自立というのは依存先を増やすことである」という言葉があるが、自分にも当てはまると思う。自分が母親に電話しなくなったのも、「困ったこと、悩みの種」がなくなったというよりは、むしろ「悩みを打ち明けられる友人やカウンセラーさんが増えた」ということが大きい。アメリカで、本格的にカウンセリング活動を開始し、悩みに対し、建設的に向かい合い、消化していく術を学びつつある。また、そういう自分の内面を打ち明けられる友人も増えた。そうすると必然的に悩みが小さくなり、「母親に聞いてもらおう」という気分も起こらなくなるのだ。

それともう一つ、「自分の弱さを親以外に見せる勇気が出てきた」というのも大きな要因だと思う。個人的にだが、他者に自分の弱さを表現できない限り、精神的自立は難しいと思っている。家族以外に自分の弱さを見せるのは、非常に勇気の必要な行為で、一筋縄ではいかない。自分がこれをできるようになったのもつい最近である。自分の内面の弱さ、「ヴァルネラビリティー」に関して論じた名著がある。自分の内面の弱さ、怖さ、自立、そういったものに取り組みたい人はぜひこの本を読んで欲しい。

本当の勇気は「弱さ」を認めること、ブレネーブラウン

その意味では、うちの両親も精神的には未熟な部分があるのかもしれない。うちの両親こそ、他人に弱さを見せるのが苦手な人たちだ、困ったことがあっても誰にも相談できず、悩みが家族の中で、大きくなり熟成されていく。母親は特に不安が大きく、精神的にも荒れやすい。自分がカウンセリングを開始してから、母親にもカウンセリングを勧めているが、なかなか応じてくれない。おそらく、母親はカウンセラーさんの前でも「いい子」を演じてしまうであろう。「本当の自分」をさらけ出せるのが、カウンセリング活動の第一歩になる。

おそらく、全ての人間がこの、生活、経済、精神の3大自立を達成できるわけでもないし、その必要もないのであろう。「可能ならできたほうが、より人生が豊かになるよ」という類のものだ。年を取るにつれて、いつかは働けなくなるし、最後は寝たきりになる。そうなったら、全ての自立が成立しなくなるだろうし、障害が原因で、生まれながら自立が困難な場合もある。

それでも、自分は自立を目指したい。その理由は自分でもよくわからないが、なんとなく、野生動物としてのプライドみたいなものだと思っている。

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