留学中、日本人とつるまないべき?

留学する際、日本にいる留学経験者から「現地では日本人と絡まない方がいい」ということを言われてアメリカに来た。おそらく、日本人とばかり絡んでいると、せっかくの英語力向上の機会を逃してしまう、という意味で言っていたのだと思う。研究者に限らず「留学中に日本人付き合いを避けるべき」という言葉は、どこかしらで聞いたことがある人が多いのではないかと思う。

そんな助言を受けた自分だったが、留学して3年がすぎ、ガッツリと現地の日本人コミュニティーにいる。

長く海外にいると、日本から見た場合と違う視点で「留学」というものを捉えることができる。今回は、この「日本人付き合いを避けるべき、避けないべき論争」について自分の考えを書いてみようと思う。

語学留学と研究留学は違う!

自分の友人で、研究者として留学する際、自分と同じく先輩から現地日本人と絡むなという忠告を受け、律儀に数年間守っている人がいた。その方は、住む場所も日本人が少ないところに決めて、来てからの数年は本当に日本人付き合いをほとんどしなかったそうだ。

その方の選択について、どうこう言うつもりはないが、その方が後悔していたこととして「日本人研究者の知り合いが増えなかったこと」を挙げていた。

その方は「語学留学と研究留学は違うということに気づいた」と言っていた。語学留学が語学の学習をメインにしているのに対し、研究留学は研究がメインであり、語学学習はサブである。研究留学において、最適化すべきはメインの研究であり、サブの語学ではない。

実際、NIHでは日本の各大学、各研究所から研究者が百人以上集まっている特殊な環境であり、そこで日本人ネットワークを形成すると、仕事面においてプラスになる面が多々ある。実際、研究留学した人の中で、海外に永住する人は少数派であり、多くの人は日本に戻って研究者をすることになる。その時に、現地日本人と触れ合っておくと、各大学の研究室の様子を情報収集することができる。

日本にいると、このような「日本各地の研究者が一箇所に集まる状況」というのは学会以外では存在しない。海外留学で、そのような日本人研究者のネットワークを形成することは、その後のキャリアのことを考えても悪手ではないと思う。

女は不倫に走り、男は引きこもって鬱になる

もう一つ、現地日本人コミュニティーに所属するメリットというか、「所属せざるを得ない」というべきだろうか。海外に住むという、経験をしたことがある人にしかわからない、孤独感というものに関して触れておかなければならない。

自分自身、なぜアメリカで日本人とよく付き合っているかと言われると、研究者ネットワークの形成とか、引越しの時に助け合えるとか、そういう理由よりは、純粋に「寂しい」というものが一番大きいと思う。

コネとか、生活面での支え合いというのは後付けで、とにかく寂しいから日本人と付き合っている部分が大きい。たまに、日本人の友人と集まって、お酒を飲むのが一番の楽しみなような気がする。それは「嗜好品」というよりは、精神を健康に保つための「必需品」という感じである。

NIHに長くいた日本人の友人で、自分にこういう言葉を残してくれた人がいる。

「女は不倫に走り、男は引きこもって鬱になる」

人間というのは、それだけ他者が必要な存在であり、日本にいる時は知らず知らずのうちに、日本人と接していたということに、海外に来て気付かされる。店員とのやりとりを日本語でするなど、ちょっとしたやりとりすらも意外とメンタル的には大切で、海外に来るとその「ちょっとした日本語でのやり取り」すら生活から排除されてしまう。

自分の付き合いの中では、不倫に走る女性はいなかったが、ちょっと鬱っぽくなってしまった男性は実際にいた。

日本人付き合いを避けたからといって、外国人付き合いが自然と増えるわけではない。相手が日本人であろうが、外国人であろうが、コミュニケーションの基本は同じであり、むしろ母国語でのコミュニケーションの延長線上に外国人とのコミュニケーションがある。

現地で日本人付き合いを避けた時に、外国人付き合いもうまく形成できず、毎日職場と家の往復で、引きこもってしまうというケースはしばしばあるようだ。

意図的に日本人付き合いを避け、外国人付き合いをメインにして、数年間アメリカで過ごし、語学力を向上させることも理論的には可能だが、現実はなかなか厳しい。多くの人はそんなにメンタルが強くない。自分の知り合いの女性で、たった1人だけ、この方法を実現させた人がいたが、それは本当に「選ばれし者」であるという印象だ。

アメリカに来れば、バスケがうまくなるわけではない

アメリカに来る前は、スラムダンクの矢沢のように、アメリカに来れば自然に英語(バスケ)が上達すると思っていたが、そんなことはない。結局、いかに英語のインプットとアウトプットの繰り返しの機会を増やすかで、それは受動的に獲得できるチャンスではなく、能動的にハントしていくものなのだ。

語学留学では、おそらく、1日に語学の勉強をする時間がたくさんあるのだろうが(語学留学したことないから実情はわからない)、研究留学では研究に捧げる時間がメインであり、語学の勉強をするわけではない。研究を通じて、ある程度、英語力を向上させることはできるが、それはあくまで研究英語、サブとしての英語である。

研究留学と語学留学の1日を円グラフにしてみた。

研究留学で、英語力を本格的に向上させようと思えば、研究以外のリラクゼーションタイムを英語の勉強に費やさなくてはならないが、研究は非常に体力を使うため、これがなかなか難しい。さっき言ったように、これができるのは「選ばれし者」である。自分みたいなものは、1日が終わると疲れて、ゲームするかYouTube見るかで終わってしまう。せめて、英語のYouTubeを見ればまた話は違うのだろうが、疲れて、脳が英語を受け付けない。日本語のものに浸ってリラックスして、また次の日、仕事に向かう。基本的に研究留学はこの繰り返しである。

個人的にだが、海外で研究者として仕事をすることを「研究留学」と呼ぶのが、少し違和感がある。学生としてならまだしも、ポスドクとして海外で研究する場合、それは「留学」というよりは「赴任」である。実際、学費は一切払わず、給料をもらっているわけで「海外赴任」と言う方が、状況をよく表していると思う。それでも、慣例に従って「研究留学」と言う方がわかりやすい気がするが(どないやねん)。

3年間、海外で研究してみて、研究室内での英語や、レストランや買い物での英語というのはだいぶ上達した気がする。一方の日常会話はからっきしで、未だに映画やテレビの英語を理解することは困難である。

最近思うのは、語学というのはあくまで「手段」であり、それそのものは「目的」となりづらい。

どういうことかというと「英語を上達させたい」というよりは「外人の彼女が欲しい」みたいに、何かの目的の手段として英語を学ばざるを得ない状況にしないと、英語というのはなかなか上達しない。目的を「英語を上達させる」としてしまうと、結局「で、その学んだ英語で何がしたいねん」と動機付けがうまくいかず、なかなか学習に身が入らない。

そんなことを3年かけて、ようやくわかりつつあるのだ。英語はあくまで手段。その先の目的を作ることの方がより大切である。

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