「ノー」と言える関係でないと継続できない

昨日はカウンセリングだった。先月は自分にとって重要でなおかつ恐怖を抱いている人物に、人生で初めて「ノー」と言った、非常にストレスレベルの高い、それでいて、非常に意義のあった月だった。

現在、両親との関係は良好で、正直この言葉はあまり使いたくないのだが、自分はいわば「プチ毒親」育ちである。第一子だったこともあってか、両親は非常に気合が入った躾を自分に対して行い、また彼らが人と相談するということが極めて苦手な人物であるということも相まって、子育てが家族内だけで周囲の相談を受けずに行われてしまった。その結果、自分は自分の欲求が伝えられず、かつ要求に対して「ノー」と言えない幼少期を育ち、そしてそのまま「ノー」ということが非常に苦手で、「ノー」ということに非常に罪悪感を感じてしまう大人になった。

振り返っても、相手が同性であれ異性であれ、年下であれ年上であれ、自分は頼まれごとに対して、ほとんど「ノー」と言った記憶がなく、それどころか、相手が何かを依頼する前に、その期待を読み取り、事前にその要求に応えてしまうような人間だった。

自分はそれが自分の長所だと思っていた。実際、その性分がゆえに恩恵を受けることもあっただろう。でも、思春期以降、その傾向に年々拍車がかかり、研究生活という名の社会生活を始めてからは、うつ病になるまでまっしぐらだった。

うつ病になってから、自分の「過剰に期待に応える、あるいは絶対にノーと言わない性分」を見つめ直して、少しずつその傾向を緩めることができるようになったのは、これまでも書いてきた通りだが、それでも、日頃相手にするのは同年代の人たちで、比較的「ノー」ということは容易かった。

今回、自分が「ノー」と言ったのは、ある意味、自分の人生で両親よりも「ノー」ということが難しい、自分が最も恐れていた人物だった。対外的に見たら、あるいは客観的に見たら、そんなに難しくないことでも、今回自分が「ノー」と言えたのは、本当に死ぬ覚悟で、人生でもっとも勇気と工夫が必要で、本当に奇跡に近かったと思う。

それらのことに関して、カウンセラーさんとじっくり議論した。そしてカウンセラーさんに「ノーと言える相手でないと継続的な関係は築くことができない」ということを教わり、自分は非常に合点がいった。青天の霹靂とも言えたかもしれない。

確かに、絶対服従の主従関係では、徐々に要求もエスカレートするだろうし、どこかで従う側に限界が来て、決定的に関係が拗れてしまうだろう。人生を思い返しても、我慢に我慢を重ねて、最後の最後で爆発して、ダメになってしまった関係というのがいくつかある。

カウンセラーさんには「ノーということでbetterな関係に慣れる可能性もある、ノーと言うことでもっといい関係になれることがあると言うことを、うつなまさんは特に覚えておいてください」と言われた。自分は非常に救われた思いがした。関係が壊れることが怖くて「イエス」と言い続けてきた自分にとって、でも「イエス」と言い続けることが限界だった自分にとって「ノーと言うことは悪いことではない」と言うことに気付かされたのは、本当に貴重な経験だった。今回のカウンセリングは非常にいいセッションだった。

カウンセラーさんには「ノーと言うことに、ブレーキをかけるイメージを持ってください。車を運転していて、ブレーキをかけることは”悪いこと”ではないでしょう?それは(ブレーキをかけること)より良い人生を送る(運転する)ために必要なことなのです」と言われた。そのイメージを大切にしていこう。

そしてこういう時こそ実践が必要だ。嫌な時は、いいイメージを持って、勇気を持って、なるべく「ノー」と言う機会を増やしていこうと思う。それで、ダメになる関係もあるかもしれないが、たったそれしきでダメになる関係は、どうせ続かず、遅かれ早かれダメになる。いい人間関係をスクリーニングしていくためにも、自分がいい関係を作りたいと思う人間に対してこそ「ノー」と言えることが大切なのだと感じた。

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