「ネバネバベキベキ思考」〜義務感だけで生きる人たち〜

自分がカウンセラーさんから教えてもらった言葉で「ネバネバベキベキ思考」というものがある。省略して「ネバベキ思考」とも言う。印象的な名前で、その意味も想像しやすいが、「〜しなければ」とか「〜こうあらねば」とか「〜すべき」とか義務感に囚われている思考法である。英語で言うと「should」とか「must」とか「have to」というような、責務、義務の助動詞のみで頭の中がいっぱいの状態である。

「ネバネバベキベキ思考」は有名な言葉でもあるので、他のブログ記事もたくさん挙げられている。自分が良いなと思った記事を少し添付しておこう。

第22回『あなたはネバネバ人間?ベキベキ人間?』

ベキベキ星人とネバネバ星人

うつ病を発症するまでの自分は常にこの「ネバネバベキベキ思考」で頭がいっぱいだった。「誠実な人間であるべき」「研究者として大成せねばならない」「仕事を完璧にこなさなくてはならない」「後輩に寛容な先輩でなければならない」などなど、数え上げたらキリがない。

個人的にだが「ネバベキ思考」はうつ病を誘発する大きな原因の一つだと思う。ネバベキ思考は「こういう存在であるべき」という「理想像」がまず先にあって、そういう存在になるために、自分にターボをかけている状態だ。でもその理想像は自分が持っている能力値では届かないものかもしれないのだ。

「等身大の自分」をガン無視して、「理想の自分」だけを追い求める。でも、体力や能力など、自分のリソースには限界があり、なかなか理想に届かない。気づいた時にはリソースが尽き、燃え尽き症候群、バーンアウトの状態になる。「特急列車ネバベキ思考」の終着駅は「うつ病駅」である。

「ネバベキ思考」の人には、幼い頃に「遊んだり楽しんだりすることは怠けであり悪である」と教えられた人が多いと思う。アダルトチルドレン気味の人が多いのではないだろうか?自分がそうだったし、実際自分にそう教えた母親は絶えず働いていた。気づいた頃には自分の脳から「楽しむ」ということが完全に欠落して、社会的成功だけを追い求める、ネバベキ思考人間と化していた。

逆説的だが、仕事ばかりをしていて乗り切れるほど人生は甘いものではない!しっかりと遊ばなくてはならないのだ!(とここでも少しネバベキ思考が現れているが)。これは人生の真理だと思う。快楽が得られないと、なんのために生きているのかわからなくなる。

人生から楽しみを排除して、研究ばかりに没頭していたが、うつ病発症前後に自分自身の異変にも気づいた。楽しみはおろか「仕事で得られる達成感」すら喪失していたのだ。

研究者の目標は何らかの科学的発見をして、論文を出すことで、論文が世に出た時に最も達成感が得られるはずなのだが、その達成感というのが全く感じられなくなってしまったのだ。唯一残されていたのは「安堵感」だけだ。「これで教授に怒鳴られずに済む」とか「これで親を悲しませずに済む」とか周囲の期待を裏切らずに済んだという「安堵感」しか感じられない。いくら良い論文を出しても自分自身は全く嬉しさを感じられない。

「脳が楽しさを感じられなくなる状態」をアンヘドニアという。いわば「楽しさの味覚障害」のようなものだ。「そこに味(楽しさ)はあるのだが、舌(脳)の機能がおかしくなり、それを感じられない」。一般的には「楽しさの消失」に用いられるが、自分のアンヘドニアには「達成感の喪失」も含まれていた。

「ネバベキ思考」から「うつ病・アンヘドニア」まで行き着いた自分が、そこから脱却する方法は、時間をかけてカウンセリングを行い、認知の歪みを根気よく是正し続けるという地道な道しかなかった。時間にして4年かかった。

今はネバベキ思考をだいぶ抑制して、「タイタイシタイ思考」を自分の脳内に育みつつある。「〜したい!」とか「〜したくない!」とかポジティブとネガティブな欲求の感情を両方に焦点を当てるのだ。長年、ネバベキで生きてきた自分にとっては、タイタイ(欲求)を見つけるのも一苦労であった。自分が何がしたいかよくわからないのだ。

「〜したい」という感情は小さくてしょうもなく感じられるものでいい。「ゲームしたい」とか、そんなんでいい。そういう感情に正直に従ってみて、そして「楽しい、嬉しい」という感情を少しづつ取り戻していく。そうすれば、少しづつうつ病が寛解していく。

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