最近のラボミーティングのスタイル

今日はラボミーティングの自分の担当であった。現在所属しているNIHの研究室ではジャーナルクラブがなく、研究の進み具合を発表するだけである。今はやっと発表が終わり、ビールとピザを頂きながら、このブログを書いている。

自分は発表が苦手で、自分の番が近づいてくるとものすごくストレスを感じる。そして、発表が終わると、ものすごくスッキリして、新しい実験も自然に始められるようになる。自分の脳が未だに不思議である。

日本にいた頃は、ラボミーティングで原稿を作ることはしなかったが、アメリカに来てからは毎回、英語のスクリプトを書くところまでを発表の準備としている。そして、それを読んで練習して、原稿を見なくても喋れるようにする。

最初の頃は、複数回スクリプトを読むことを目標にしていたのだが、なんかやる気が出なくて、最近はスクリプトを1回読めば、それでもう準備OKということにしている。発表時間までは落ち着かないが、時間が余っていたとしても、もう発表の練習はしない。面倒くさい。

自分は、原稿さえ作れば、つまらずにしっかりと最後まで発表できる。発表において一番厄介なのは、何をしゃべるのか自分自身わからなくなってしまうことだ。スライドを進めているうちに「一体なぜ自分はこのスライドを準備したんだ?」と自分自身が何を言いたかったのかわからなり、スライドの前で沈黙してしまう、ということが学生のうちはよくあった。でも、原稿を作ると、そういう心配がなくなる。原稿を作ることで、発表のストーリーを自分の中で完成させるのだ。

原稿は作って、印刷までするのだが、結局本番では原稿をほとんど見ない。「原稿をチェックしながら、スライドをめくる」という器用なことができないのだ。昔からよく「作業の同時進行ができない」と言われた。「歩きながら携帯を見る」とか「しゃべりながらご飯を食べる」とか、そういうことができない。よく友人に指摘されてきた。

原稿さえ作っておけば、見なくても大丈夫なのだ。「どうせ、見ないのなら原稿を作らなくてもいいんじゃない?」とも思われるかもしれないが、そういうことではない。一度、原稿を作ったからこそ、原稿をみなくてもスライドの説明ができるのだ。

そう言えば、うつ病が酷かった時は、発表練習ができなくなったな。学会などで口頭発表をするときは、制限時間などの兼ね合いで、原稿をしっかりと頭に叩き込むというのが、自分のスタイルだったのだが、うつ病がひどくなってからは、そういう練習がものすごく億劫になり、できなくなった。例によって原稿だけ作り、あとはぶっつけ本番だった。それでも意外と問題なく行えたが。

うつ病になってから、大事なことが控えていても緊張しなくなった。だから、発表前日でもものすごく寝れた。むしろ起きられないことを心配していたくらいだ。うつ病になってから、大型自動二輪の免許を取り始めたのだが、卒検の当日でも全く緊張しなかった。本来はめちゃくちゃ緊張しいなのだ。あれは、不思議だった。なんというか、脳の中の「緊張する」という機能がなくなっている感じなのだ。もしかすると、うつ病になってから唯一よかった点かもしれない。

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