研究生活10年目。研究に行き詰まる(Vol.3)

研究分野そのものの停滞

以前の記事で、コロナの影響もあって、なかなかポジティブデータが出ないということを「ヨーグルトに合う具材の研究」という例え話で書いた。今回は、自分が同じ研究分野に留まり続けて感じる「研究分野そのものの停滞」について書こうと思う。

博士号取得後、ポスドクとして分野を変える研究者はたくさんいるが、自分は「分野を変えなかった族」になる。というか「変えられなかった族」とでもいうべきか。博士号取得前後の当時、自分はうつ病全盛期で、新しいことに取り組むということが、ほとんどできなくなっていた。うつ病時に新しいことに取り組もうとすると、途方もない壁というか、恐怖というか、独特の感覚を覚え、その壁を登ることができなくなる。当時は、もう新しい論文もほとんど読めなくなっていた(これは今もかもしれないが)。修士課程に培った、知識、実験技術だけで全てを補っていた。

そんな自分だったが、企業就職しようという気は起こらなかった。というか就職時期とうつ病悪化が重なって、思考が固定化し、そういう発想にならなかったというのもあると思う。自分がもともと海外留学したかったのもあるが、親の期待や、教授のプレッシャーなどいろいろな要素が重なり、選んだのはNIHへの海外留学だった。

ただ、NIHに博士課程と類似した研究をやっている部署があったということが一番の要因だ。分野を変えなければ、インタビューの受け答えも、うつ病を患いながらも、なんとか誤魔化し誤魔化しやり過ごすことができた。体力はほとんど残されていなかったが、全てを犠牲にして、英語での書類作成のみに身を捧げ、なんとか留学に漕ぎ着けることができた。

アメリカに来てから数年間は自分のうつ病治療に全力を捧げており、研究は今までの貯金のみでやっていた。新しい論文はほとんど読まなかったが、それでも平均的な研究成績を収めることはできて、研究室内でも悪目立ちせずにやっていけている。なんというか、自分が研究を始めてからの10年間ぐらいで、この研究分野は成熟仕切ってしまったのだ。成熟し切って、分野の基本原理というのが固まってしまった。その基本原理さえ理解しておけば、新たな論文も大体その原理に当てはまってしまうため、そこまで頑張って論文を読まなくても良くなる。

研究業界にはインパクトファクター(IF)という指標がある。これは、論文が一本当たり何件引用されているかという指標であり、この値が高ければ高いほど、その論文はよく引用されているということだ。そしてIF値はポジション獲得や、その研究者の評価にも密接に関わるので、みんなよりIF値の高い雑誌に自分の論文が載せられるように努力している。

まあ、漫画雑誌と同じだ。漫画の新人読み切りも、名の知られていない雑誌よりも週刊少年ジャンプとかメジャーな雑誌を目指して投稿するだろう。その方が、よりみんなの目に止まるし、採用されれば厳しい審査を潜り抜けた「ジャンプの編集者が認めた面白い漫画」というお墨付きももらえる。研究の場合も同じで、研究雑誌間に明確な序列があるのだ。そして、週刊少年ジャンプみたいな有名な雑誌にたくさん論文を採用された研究者が“優秀”と評価を受ける世界なのだ。

論文がよく引用されるための条件の一つとして、その研究分野が人気であるということが挙げられる。現在コロナでコロナウイルスの研究が世界各国で流行っているが、そういう「流行っている」研究では、論文の良し悪しに関わらず、競技人口が多いため必然的に引用が伸びやすくなる。コロナウイルスの論文で引用されるのは他のコロナウイルスの論文であり、バナナに関する論文はコロナウイルスの論文では引用されない。バナナの論文は果物の研究分野でのみ引用されるのだ。

自分が研究を始めた頃は、今の研究分野も流行っており、NatureやScienceといったトップ雑誌によく論文が掲載されていたが、最近はそのようなトップ雑誌に掲載されることがほとんどなくなってしまった。

なぜか?それは、みんなが研究を頑張りまくったおかげで、もうこの分野の基本原理があらかた解明されてしまったからだ。前の記事でも書いたが、トップ雑誌に掲載されるためには「驚き」が必要なのだ。そして、基本原理が解明されてしまった研究分野に「驚き」は残されていない。

こうやって、研究分野そのもののインパクトファクターの低下とともに、研究分野というのは衰退していくのだろう。みんなポジション獲得のために、よりインパクトの高い、流行りの研究に手を出したいのだ。実際、かつてトップ雑誌に論文をたくさん掲載していた大御所教授たちも、あまり論文を出さなくなってきた。この分野からどんどん人が離れていっているように感じる。

しかし、どんな流行もいずれは廃る。数学の極限みたいなものだ。逆に言えば、そういう廃れた研究は、また流行る可能性があるのだと思う。極限値にある研究が更なる極限を迎えることはないが、廃れて極小にある研究が、また極限を迎える可能性は、無きにっしもあらずだ(フォルティッシモみたいに言うな)。

もっと詳しくいうと、今の自分の研究分野は「簡単に分かることは、みんなわかってしまった」ということであり、難しい謎というのは未だに解明されていないのだ。未だにわからないことの方が圧倒的に多いのだけれど、それが人間の知恵と技術で解明可能か?と言えば、それはどうかわからない。数学の不完全性定理みたいに、全ての命題が解明可能なわけではないのだ。「ゴールドバッハ予想」も命題そのものは何百年も前に提唱されているが、未だに解明されていない。

自分がポジティブデータが出ないというのも、そういうことに起因している。テーマが難しすぎるのだ。簡単なテーマはみんなに解かれてしまって、難しい、もしかすると解明不可能なテーマだけが大量に残されている。

自分にとっても、分野にとっても今が正念場なのかもしれない。知恵と工夫で今の状況を脱却し、新たな流行を創造できるか、もしくは完全に廃れ切るかだ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする