敗北を受け入れる勇気 vol.1

ここ数ヶ月、特に4月から職探しについて真剣に考えなくてはならなくなってから、自分は「敗北」という二文字を頻繁に意識するようになった。それは、自分にとって「アカデミックの研究者」を辞めるというのが紛れもない敗北であり、そして、残念ながら(または幸いなのかもしれないけど)次に日本に帰るタイミングで、アカデミックの研究者をやめなくてはならないかもしれないからだ。

「アカデミックをやめなくてはならない」の言葉の後ろにはいろいろな事情が含まれている。(しんどいから)アカデミックをやめたいという欲求、でもしんどくないなら続けてもいい。アカデミックを辞めると、これまで築き上げてきた業績が「キャリア」という意味では、ふいになってしまうが、うつ病を経験した自分の脳では、これ以上業績のために誰かとギスギス競い合うことはできないという確信。また、昨今のライフサイエンス系アカデミア研究に対する失望もあり、研究者を続けるというモチベーションも低下しつつある。

昔の記事にも書いたように、自分は日本にいる際に、支配的な教授と研究室でのギスギスドロドロした過度の競争に揉まれて、うつ病になり、うつ病状態でその研究室で数年間仕事を続けたせいか、PTSDっぽい症状を伴うトラウマを自分の中に成熟させてしまった。今でも、前の研究室の教授からメールが来たり、自分をいじめてきた先輩の存在をネットで見てしまうと、心臓がドキドキして息が浅くなり、食事が喉を通らなくなってしまう。アメリカと日本の距離感でそんな感じなのだ。日本に帰るのがどれだけ怖いかは想像に容易い。

ただ、自分がその研究室でPTSDっぽくなるまでトラウマをこじらせてしまったのは、紛れもなく自分が、そのギスギスドロドロした競争の中で、戦い、そして抗ってきたからなのだ。自分の能力を見極めて、抵抗することなく、「敗北を受け入れる」ということが20代のうちからできていれば、おそらく自分はうつ病にならずに済んだ。

「深夜まで研究できない奴は、研究者として大成できない」

この言葉は自分が学生時代に在籍していた研究室の教授が頻繁に口にしていたものだった。そして実際に深夜まで残っている学生がその教授から優遇された。

自分は、攻撃性の強い人間ではなく、幼少期においても人を殴ったこともなく、平和的な人間だと自負しているが、一方で変な部分で負けず嫌いというか「舐められたくない、見下されたくない」という思いに関しては、幼少期から20代後半のうつ病を発症するまでの間、ずっと強かった。自分が、不当に、アンフェアに扱われたと感じたら、人一倍怒りの感情が湧いてきて「この悪を成敗せねばならない」という気持ちになった。

高校生の頃に、こんなことがあった。運動会の時、テンションが上がりまくった勢いで、友人の1人が僕に、見学できている誰かのお父さんを指さして、「あのおじさん殴ってきて」と言ってきた。普通だったら「何いってんねん、そんなアホなwww」と冗談で流してしまうところが、「こいつに舐められたくない」と強く思った自分は、本当にタオルでそのお父さんをはたきに行ったのだ(本当にすみません)。「俺にそんな度胸がないと思っているんだろ?俺はそれくらいのことは余裕でできるんだ」そういう感情が、その友人に対して、強く自分の中に湧き上がったのだ。

当たり前だが、はたきに行った後、やってしまったことに対して、非常に後悔した。なんとか逃げ切れないかと思ったが、そのおじさんはずっと自分の方を見てきていて、逃げ切れそうになく、自分は仕方なく謝りに行った。詳細は覚えていないが、ありがたいことにおじさんは許してくれた。そんなとんでもないことをしたのに、それだけで済んで、今思えば幸いである。

ただ、自分は今でもこのエピソードをしばしば思い出し、そしてこの行動が自分の精神性をよく表しているなと感じるのだ。自分は、決して、自分から意図して誰かをディスったり、攻撃したりしない。先制攻撃は決してしない。だけど、誰かに舐められたり、期待されたりすると、本来の自分を見失って、自分の身の丈に合わない行動をとってしまう。何か、目に見えない存在に負けまいと、必死になって抵抗するのだ。

ハードワークは苦手ということは小学生の頃から知っていたのに、教授から、先輩から、みくびられたくないという想い一心に自分は深夜まで研究室に残って実験していた。

つづく

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