最近はいいことがあまりないので、アメリカ時代の嬉しかった話でも思い出して景気付けしよう。
アメリカに留学していた7年間、自分は楽園にいたような感覚に包まれていたというのはしばしば書いてきた通りである。一方で、自分はその環境で「めちゃくちゃ優遇されていた」かと問われれば、そういう感覚はなく、受け入れられていたとか、除け者にされなかったとか、干渉されなかったとか、意地悪されなかったとか、そういう感覚が近いような気がする。
アメリカにいた頃はまず「職場に行きたくない」という感覚がなかった。プレッシャーを感じずに実験でき、自分のデスクでデスクワークができた。監視される感覚、怒られる感覚、ビクビクする感覚というのが全くと言っていいほどなかった。では、サボっていたかと言われると、多少はあったかもしれないが、自分含め、自由意志でみんなたくさん実験し、ラボとして非常にプロダクティブであったのである。
では一方で「毎日めっちゃラボメンバーと喋って、テンションが高く、ハイな状態だったか」と言われるとそうでもなく、ラボで一言も喋らない日とかもザラにあった。何というか、静かで、淡々としていて、自由で平和的な雰囲気が職場に流れていたような気がする。
自分はボスとあまり会話しなかった。理由の一つとして、ボスは自分をちょっと避けていたというか、「何を喋っていいかわからない」から、あまりプライベートな会話ができなかった。でも、しょうがなかったとも思うのである。ボスはもう孫がいるおじいちゃんで、私とは年齢差もあったし、人種も異なり、私は結婚もしていなかったのである。そしてボスは優しかったが、同時にNIHのビッグラボの大御所でもあった。基本的に仕事人間で、自分以外とのラボメンバーともプライベートな会話は少なかったように思う。そんな人が「未婚のアジア人男性」と一体、何を話すというのか。家族のことも聞けないし、共通の話題もない。少し避けられて当然なのである。
いうほどラボメンバーと喋っていたわけでもなく、かといって邪魔者扱いされず、Happy hourの際は必ず誘ってもらい、私は無言で笑顔で彼らの会話を聞き続けていた。
なぜ自分はアジアの陰キャラのくせに、欧米人の飲み会に最後の最後まで居座り続けるのか?
研究も、もちろん全てではないが、自分の意志が反映されることが学生時代よりも圧倒的に多く、業績も残せて、幸せな留学生活だった。
留学生活が終わりを迎え、ボスが自宅で自分のFarewellを開いてくれた。ボスとの会話は研究に関すること以外、最後まであまりなかったが、クーラーボックスにはJapanese Beerを冷やしてくれていた。そういう細やかな心遣いができる人だった。時はまだコロナ禍で残念ながらコロナに感染し、欠席したメンバーも複数いた。それに加えて、そのタイミングでボスの旧友の外部PIがラボを訪ねてきており、そのPIも自分のFarewellに参加しており、ボスはそのPIと昔話とか研究の話ばかりしており、他のラボメンバーがそれをずっと傾聴している状態だった。
だが、最後に自分に別れの挨拶をしてくれた。自分がどのような経緯でラボを訪れ、ラボにとってのlong-standing issueを解決してくれ、いい論文を出してくれたこと。そういうことをみんなの前でスピーチしてくれた。
そしてもう一つ、自分がGenerous personであることをみんなの前で褒めてくれた。Generousというのは「気前が良くて、寛大で、自分のリソースを惜しみなく他者に与える」という意味である。ボスは自分がラボメンバーに対して、実験や学術的知識やその他諸々をラボメンバーと共有する様子を形容し、自分にその言葉を与えてくれて、他のラボメンバーもそれに対してうなずいてくれた。
自分としては、ラボメンバーにそれほど気前よく教えていたつもりもなかった気がする。「尋ねられたから教える」みたいな感覚であった。ただ、元来、人から優しく思われたい、ええかっこしいではあるし、教師家系ゆえの血筋なのか、教えることは嫌いじゃなかった。丁寧にわかりやすく教えるためか、リピーターが増え、こっちが忙しそうにしていても、構わず色々なことを聞かれ「ちょっと勘弁してほしい…」と思うこともしばしばあったが笑…
もう一つ、自分には「アカデミア研究者は、実験手法を尋ねられた際は、それを無償で他者に教えなければいけない」という信念みたいなものがある。「逆の立場だったら、他者から嫌な顔されずに教えられたい」という思いもあるけれど、それ以上に「そうしないとアカデミアは回らないし発展しない」という考えがある。
企業の研究と違い、アカデミアの研究室は、プロダクトを生産していない。故に、研究資金を外部資金(税金を財源とする公的基金や、ハワードヒューズのような大富豪が設立した私設財団による基金)に頼らなければいけない。つまり「原則的に貧しい存在」なのである。お金が潤沢にあれば「実験を教える人」を雇うことができるが、アカデミアではそれをやるのが困難で、どうしてもポスドクや学生が無償で新入りに技術を伝承していく必要がある。アカデミア研究という構造を考えた時に、そうしないと組織として回らないのである。
アカデミアの世界で悩み苦しむ中で、企業の研究の方が、揉め事や不和が生じづらく、健全な形なのではないかと思うことが少なくない。自社の製品を売り、余ったお金を、投資的な形で研究に回す。つまり「自分で稼いだお金を自分の好きに使って何が悪い!」というやっかみが入りづらい形になっている。それに引き換えアカデミアは財源が税金になっている場合が多く、それゆえに「万人に役に立つ」ことが求められることが多いが、それは大学やアカデミアの存在理由と相反する。財源を自分で稼いだわけでもないのに、多く科研費を獲得したことを鼻にかける尊大な人もアカデミアの世界には多く、構造上どうしてもねじれが生まれやすくなる。
脱線してしまったので、話を戻す。ボスにgenerousだとみんなの前で褒めてもらったことも、もちろん嬉しかったのだが、それと同等かそれ以上に嬉しかったのは、別れの時期に、年配のスタッフからメールでかけてもらった言葉である。それは、
Thank you for your permanent willingness to help and be a great “laboratory citizen”.
という一文の中のgreat “laboratory citizen”という部分であった。
ラボというのは町であり、自分の利のためだけに動いてもうまく組織が機能しない。ちょっとした掃除であったり、片付けであったり、人助けであったり、機嫌よくいることであったり、論文や業績に繋がらないちょっとした善意が大事なのである。
ボスからGenerousと言われたり、シニアスタッフからgreat “laboratory citizen”と言われたり、自分では「当たり前」あるいは「そうすべき」と考えてきたことだが、一方で紛れもなく、自分が「大切なことである」と意識し続けてきたことでもあった。単なる研究手腕でなく、そういう自分が大切にしてきた人間的なものがちゃんと認識され、そして最後のFarewellで言われたということが涙が出るくらい嬉しかった。自分が褒めてほしいところが、ちゃんと褒めてもらえた。
それは学生時代に経験した「優しくない」とみんなの前で言われたことの真逆なことであった。
帰国し、日本の研究室で働き始めて、自分の人間的な部分を評価してもらえるということは、再度なくなってしまった。でも、学生時代にしろ、今にしろ、もしかすると彼らは私のことを口に出して褒めたくない、認めたくないだけで、本当は心の中で私の人間性がどういうものかということは認識しているのかな?とも思い始めている。
最近は「いいことないな、不運な人生だ」と感じ始めることが増えた。でも、今回記したような、アメリカ時代の良かったこと、というのが紛れもなく自分の心の支えとなっているし、少なくとも「いい時期があった」という点において、自分は幸運な人生を歩めているのかなとも思う。
いい時期もあれば、悪い時期もある。
だからみんなも、そして私も、歩み続けていれば、挑戦し続けていれば、いつかまたいいことが起こるかもしれない、とそんな思いを捨てずに、生き続けてくれればいいなと思う。

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