部活を引退してから、S君という友達と昼休みにバスケをすることが増えた。
S君とは小学校も同じで、その頃からちょくちょく遊ぶ仲であった。だが、S君は性格に難があり、他に類を見ないほどの自己中であり、友達から倦厭されていた。
とにかく、わがままで、攻撃的で、いじめ体質で、人にシェアしないし、奪い取るし、攻撃するけど、やり返されたら、ぶちぎれる。典型的な自己中心的な性格だったが、お笑い能力が高く、モノマネとかで笑いを取ったり、運動神経も抜群で、野球部に所属しており、顔もカッコよく、そういう要素が相まってギリギリ友達の輪の中にいることができたタイプであった。
みんなS君のことをどこか怖がり、反撃が怖いから、無視したりはしないものの、なるべく触れないようにし、遊びなどには誘われることがなく、静かに距離を置かれていた。
一方の自分は「優しくなければならない」という禁忌に犯されているくらいのお人好しで(実際に、S君に対して、めんどくさい奴とは感じていたものの、ちょっと仲間はずれにされて可哀想だな、くらいには感じていた)、S君のことも無視せず、めんどくさがらずに対応するため、小学生の頃からS君に寄って来られて、遊ぶこともしばしばあった。
部活を引退した後の、中3の昼休みはほぼS君に声を掛けられ、一緒に遊んでいた。のちに聞くと、周囲の人からは、優しすぎてS君の誘いを断れない、可哀想なやつ、と思われていたようだが、実際のところ自分と真逆のタイプのS君と遊ぶのはそれなりに楽しくもあった。
ある時から、S君と校庭でバスケの1on1をするようになった。S君は運動神経抜群であったものの、背も小さく、バスケ経験者でもないので、1on1では流石の自分でもS君に勝つことができた。
ところが、負けたまま素直に終わらせてくれないのがS君がS君たる所以。私がドリブルで攻め込もうとするとS君は、思いっきり私を掴んできて、文字通り、大外刈りで私を倒してボールを奪い取ってくるのである…これには温厚な私も「なんやねんお前!」とキレるのだが、もちろんS君も引かない「ええから、次俺のオフェンスや」と大外刈りで奪ったボールでドリブルを仕掛けてくる。
最初はキレながらも真面目にS君をディフェンスしていたのだが、S君は私のオフェンスの度に大外刈りでボールを奪うようになってきて、流石の自分もアホらしくなり、S君のオフェンス時には大外刈りでボールを奪い返すようになっていた。
S君は本当に無茶苦茶なので、S君のオフェンス時にも、まず自分を大外刈りで薙ぎ倒してから、その隙にシュートを決めるみたいなことをやり始めるのである。そして自分もすぐさま、S君の真似をして大外刈りでS君を薙ぎ倒す。
気がつけば、1on1よりこの「柔道あり1on1」の方が楽しくなってきて、毎昼休み、泥だらけになりながら、この1on1を楽しんだ。そんなことが二人が1on1に飽きるまで、数ヶ月続いたと思う。
これは「優しく、誠実に育てなくてはならない」という強い禁忌のもと、母から暴力性を排除されて育てられた自分にとって、人生で初めての暴力性の解放であった。それまで、遊びであっても、こんな取っ組み合いの喧嘩のようなことはしたことがなかった。
格闘ゲーム禁止の家庭で育った自分がキックボクシングを習い始めるようなるまで
ある時、昼休みに、バスケ部のメンバーでバスケをすることになった。そしてコートでパスが自分に回ってきた時、異変に気がついた。
「ボールを保持していても、全くビクビクしない」と。
落ち着いて、ドリブルができた。落ち着いて、パスを出せた。シュートを決めたいと思い、自分からペネトレイトを仕掛けて、シュートを決めれた。頭が本当にクリアな状態でプレーでき、周囲の声が気にならなかった。
その時から・・・私は自分を完璧に支配できた・・・ 何でもできると思った・・・
そんなミカサがアッカーマンの血に目覚めた時のようなことが、自分の身に起こった。
自分は長男から次男化した。S君との無茶苦茶な1on1の過程で、自分の暴力性なのか、自己中な部分なのか、よくわからないが、「攻撃してもOK」という許可が頭の中でおり、ボールを持った時に生ずる、周囲の非難の声に反撃できるようになった。その時は非難されても「うるせー!」と言い返せていただろう。
まさか、S君との1on1の過程で、そんな変化が自分の中に起こるとは夢にも思わなかった。当時はこれを「神様からのプレゼント」だと感じていた。誰も相手にしないS君に、優しく1on1の相手になってあげた善行を、神様が見ていてくれたのだと。
引退時は絶対バスケなんか続けないと思っていたのだが、覚醒した私はどうしても自分を試してみたくなり、高校でもバスケ部に入った。中学のバスケ部のメンバーにも「俺、次男化したから高校でもバスケやってみるわ」と告げていた。
とはいえ、もともと運動神経は平均程度であったため、「覚醒したから全て解決」というわけでもなく、何より高校のバスケ部は顧問の方針で、かなりきついメニューをこなし、論理的にバスケを学んでいく場所であり、体育会系度合いも中学より強く、テスト期間も部活が休みにならない、バリバリのところで、死にそうになりながらバスケをしていた。
それでも、3年次にはスタメンの座を掴むことができたのである。中学で一番下手で虐められていた自分が、ある意味バスケで真っ向から報復できた瞬間であった。
大学では部活に入らなかったものの、遊びではちょくちょくバスケをプレーし、アメリカ留学時代も、現在も社会人のバスケサークルに入って、初心者や女子も交えながらプレーしている。アメリカにいた頃はNBAも頻繁に見に行き、Stephen Curryを含む、数々のスター選手を生で見てきた。S君との相互作用が自分の運命を変えて、バスケは自分の人生の一部になっていると言っていいだろう。
でも時折、S君と1on1をしていなかった世界線というのも考えるのである。というのも、もともと自分が得意なのは絵とか工作とか音楽だったのである。S君と出会わなければ、高校では本来得意な創作活動の方に行っていたかもしれないし、卓球とか自分の得意なスポーツを始めていたかもしれない。自分が研究室でうつ病を発症したのも、高校時代のバスケ部のバリバリ体育会系の癖が体に染み付いていたのも要因の一つだったような気がする。彼と1on1をしていなければ、運命は少しずれて、もう少し楽な方向に流れていたような気もするのである。
もともと得意だった絵の才能を伸ばすことができていたら、自分のこのブログももっと表現力豊かなものにできていたようにも思う。楽器ができていたら、演奏を通じてストレス解消し、気の合う仲間と出会えていたような気がする。でも、残念ながら、それらの長所を伸ばす機会には恵まれず、苦手なバスケ一本で、今の今まで乗り越えてきている。
ただ、大人になって始めた習い事が「キックボクシング」という、より直接的に暴力的なものだったから、向いてはいないけど、男性らしいものも好きなのかと思う。ちゃんと自分で選んでこの道を辿ってきたのかなと、確かにそうも思う。
追記
S君とは違う高校に通ったため、中学以降疎遠になったが、通学時のバスが一緒で時折、偶然会い会話していた。S君は中華料理屋でバイトしていたが、そこでもメチャクチャな働き方をしていて、今でも覚えている話が「ラーメンをオーダーされて、乾麺状態のラーメンを湯がかなければならなかったが、スープだけ作って忘れていたので、スープに乾麺を突っ込んで客に出した」というものだった。「え、それどうなったん?お客さんめっちゃビックリするやん笑」とバスの中で爆笑していたのだが、S君は「知らん笑」と答えていた。後日会った時にS君はその中華料理屋をクビになったと言っていた。配られたシフト表を見たら、自分の名前が入っていなかったらしく「うわ、名前ない!」と思ったらしい。自分は「そりゃそうやろ」と思ったが、自分じゃ絶対に起こさないエピソードを提供してくれるS君が面白くもあった。
高校時代のそんなちょっとした話。

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