わたしの抜毛とわたしの強迫-2

うつ病治療

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わたしの抜毛とわたしの強迫-1

前回、自分の最も古い抜毛の記憶は小学3~4年ごろの「まつ毛」を抜くことだと書いた。思い返してみると、その頃、通っていたスイミングスクールにMコーチという鬼コーチが現れ始めた頃と一致している。

シリアスな人のそば

Mコーチとスイミングスクールでの経験は、自分の原始的なトラウマ体験であったと思う。望んでもいない小学生にきついタイム制のメニューをかし、できないと罵倒される。当時50mのベストタイムは当時50秒くらいだったと記憶しているのだが、例えばMコーチから「55秒で泳ぐのを5~10セット」みたいなメニューが与えられる。全力でゼエゼエ言いながら50m泳ぎ、その2~3秒後には次のランに駆り立てられる。じゃないとものすごく怖く怒られる。その恐怖心で全力で泳ぐのだが、当たり前だが、小学生の体力には限界があり、自分はこなせず、罵倒される。

「やる気ないんか?早く泳げるようになりたないんか?」みたいなことを言われて。望んでもない小学生を勝手にステージに上げて、基準に満たないと罵倒される(大人になってからも似たような経験をしている気がする)。

仮に大会で上位を目指すことを目的としていたなら、そのメニューも納得できるのであるが、通っていたのは町の小さなプール施設で行われる、健康目的のスイミングスクールであった。自分で始めたかったわけでなく(泳ぎたい、という願望をもった小学生は少数派だと思う)、自分が喘息持ちで、周りの友達もたくさんやっているからという理由で母に始めさせられた。

母に泣き言も言ったのだが、つらさを理解してもらえず、憂鬱な気分になりながら通うしかなかった。小学生当時の国語力では言えたとして「Mコーチが怖い」とか「しんどい」とかで、「自分の自己ベストは50秒であるにも関わらず、55秒x10セットのメニューを組まされ、達成できないとプールに入ったまま罵倒され続ける」みたいな説明はできていなかったと思う。仮にそういう説明ができていたとしても「自分が体験してみるまでわからない病」の母は、その異常さを理解してくれなかったように思う。研究室に配属され、どんなつらい目に遭っているか、大学生の国語力で可能な限り詳細に伝えても、母は「世の中そんなもんだ」と聞き入ってくれることはなかった。

Mコーチは大学生のバイトであり、来たり来なかったりランダムで、彼女がくるかどうか、毎回ビクビクして、来たら絶望し、来なかったら安堵した。月謝制のスイミングスクールで、泳ぐこと自体はとっくにできるのようになったのだから、とっとと辞めて、別の習い事をさせてくれても良さそうなものだったのだが「一度でも逃げたら、一生逃げ続ける」みたいな恐怖心に苛まれている母にとって、そういう路線変更は選択肢になかった。結果として、小学校を卒業するまで、週に2回、スイミングスクールに通い続けた。最後の方は体も成長し体力もついてきたし、Mコーチもほとんど来なくなり、スイミングスクールに通うことはそれほどストレスでなくなっていた。

いずれにせよ、小学3年生頃のこのスイミングスクールが、自分の原始的な体育会系トラウマ体験で、「一度始めたら、最後までやめてはいけない」という感覚を脳に染み込ませてしまった気がする。そして「相談しても聞き入ってくれない」という感覚も。社会人になっても、自分はこの時の体験を繰り返している気がするのである。

時系列は定かでないが、この時の強烈なストレスが、まつ毛を抜いていた抜毛癖と結びついている気がするのである。

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