わたしの抜毛とわたしの強迫-1

ちょっと自分の抜毛癖についてまとめてみたくなって、文章を書いています。なぜかあまり頭がまとまらないので、とりあえず乱雑に書いていって、全部かけてからもう一度まとめるスタイルにしようかなと。

自分が強迫的なパーソナリティーの持ち主であることはこれまで書いてきた通りで、今でもちょくちょくTwitterや本で強迫に関する情報収集しているのだが、つい先日、強迫に関する本でとてもいいものを見つけたので、まとめておきたい。

強迫症/強迫性障害(OCD) 考え・行動のくり返しから抜け出す (健康ライブラリーイラスト版)

これまでにもたくさんの強迫の本を読んできて、大体その全容を理解しているつもりなのだが、この本では強迫の種類やパターンがもう少し豊富に記載されていた。

この本の中に記載されているもののうち、自分には清潔さに関する強迫観念(手を繰り返し洗う洗浄強迫とか)はほとんどないのだが、加害恐怖、不誠実恐怖、道徳恐怖、縁起強迫など「人としての優しさ、誠実さ」とか「人からどう思われるか?」みたいなものに関する強迫観念がものすごくあって、うつ病になってから、カウンセリングに行き始めてから、自分はそれらの性分を和らげることに努めてきた。

その中に「抜毛」というものが強迫関連症として位置付けられていた。もう一つ「皮膚むしり症」というのもあって、こちらも多少は自分に当てはまる。

今まで結構強迫に関する本を読んできたつもりだったが、抜毛が強迫関連症に位置付けられているというのは初めて知った。単に自分が見落としていただけかもしれないが。強迫的な自分が、強迫関連症である抜毛を持っているというのは、整合性がついて、すんなりと納得することができた。

皮膚むしり症に関しては、子供のころ水虫がひどくて、時に足から出血するくらい、自傷行為のごとく皮を剥いてしまうこともあったのだが、大学生に入ってから水虫治療に取り組み、水虫が治ってからはかなり頻度が減って、今では時折、足裏の小指の下の小趾球と呼ばれる部分のタコをできたらむしり取ってしまうくらいである。

父とわたしの水虫奮闘記

小趾球のタコ

しかし、抜毛に関しては小学生5年生の頃から、多少やり方を変えながら、20年以上ずーっと続いている。なぜ、小学生5年生と記憶しているかというと、その頃に明確な事件が自分に起きてしまい、それが契機となっていることをはっきりと覚えているからだ。

ただ、これを書いている時に思い出したのだが、記憶している一番最初の自分の抜毛は「まつ毛」なのである。小学生3〜4年生あたりの頃に、まつ毛を根本から頻繁に抜いていた。正直、なぜこれをしていたかは覚えていない。ストレスがこの頃もつよかったのだろうか、なんとなく気持ちよかったからだろうか、かなりの頻度でまつ毛を根本から抜いていた。しかし、小学生ながら、まつ毛というものが見た目を綺麗に見せるための貴重な毛であることはわかっていて、あまりやらない方がいいよなと感じていたし、鏡を見た際にまつ毛がほとんどなくなっていることに気がついて、自分でも驚き、止めることができた。幸い、そこからまつ毛は再生し、大人になった今でも短いが(遺伝のせい)まつ毛はある。

大学生の頃に、自分と同様、子供の頃のまつ毛の抜毛で、まつ毛が全く生えて来なくなってしまった人に出会って、ほっとした記憶がある。

自分の抜毛は、根本的に髪の毛を抜くというよりも、髪の毛を「枝毛化」さして、それを千切るという形式が多い。特に、論文を読むときなど、脳に強い負荷とストレスがかかる時とか、何かがうまくいかないときなど、自然と手が髪の毛に伸びる。

論文を読むなど、特にストレスレベルの高い時は、前髪を触り、前髪の先端を千切ることが多い。軽度のストレスレベルの時は、髪の毛を一本毛量の多い箇所から探りとり、枝毛や切れ毛になっていないかを指でくるくると髪の毛を回し、探ろうとしている。

その他にも、白髪を抜いたり、剃った後の髭の剃り残しを抜いたり、髭ともみあげの境目の部分の毛を抜いたりとそいういう抜毛も行う。最近だとなぜか右の眉毛が多い。鼻毛も抜く。

続く

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