私はお悔やみの言葉すら人に言えない子供部屋おじさん

コロナ禍に入ってから、日本人の知り合いで亡くなったという人は、幸い今のところいないのだが、アメリカにいると、現地の知り合いの知り合いくらいの距離感では、コロナで亡くなってしまったという人が数人いる。

一番身近だったのは、前の同僚ポスドクだった人のお父さんが亡くなられたというものだった。彼は自分と同い年くらいだったので、その父親も自分の親とそう年が離れていないはずである。その悲しみは大層深いものだっただろう。

今のラボメンバーでその彼と連絡をとっている人がいて、その彼から「もしその意志があるなら、彼にお悔やみの言葉を送ってあげてくれ」というメールがラボメンバーに回ってきた。他のメンバーはお悔やみの言葉を送ったのだろうが、自分はそれをすることができなかった。

英語でお悔やみを言わなければならないという困難さもあるが、それ以上に「彼を傷つけてしまわないだろうか?」とか、自分の心が動揺してしまうことを恐れたのだろう。「無神経な奴だと思われたくない」という「人からどう思われるか?」ということに対する囚われから、逃れられなかったというのもあると思う。

彼は自分と同じプロジェクト内で働いていたポスドクで、精神的な距離も近かったから、自分は連絡するべきだったのだ。カウンセリングでも、人が悲しんでいる時に、自分からそばに寄り添える力が大切である、ということを教えてもらっていた。そこまで理性でわかっているのに、自分はできなかった。

またつい最近、研究室の掃除を担当してくれている女性の旦那さんがコロナで亡くなったということを、また同じ同僚がみんなに伝えてくれた。今回は顔を合わせる機会があるということで、彼が発起人となって、メッセージカードとお金のギフトをラボメンバーで用意した。彼は問題行動も起こすが、でもこういう部分では本当に大人というか、主体性がしっかりして立派だなと尊敬している。

自分はそのメッセージカードとお金の寄与には参加したが、直接彼女に声をかけることが、またしてもできなかった。ハッピーな事柄に対しては「おめでとう!」とか「やったね!」と言えるのだが、ネガティブな事柄に触れることが未だにできない。情けないなと思う。

自分は18歳から一人暮らしをしているが、現在30歳を超えても、精神的にはまだ子供部屋にいるのだ。肝心なことは全て、親が主体的に解決してくれていた。「親が教えてくれなかった」とか言い訳はいくらでもできるが、でもこの歳でその言い訳は通用しないだろう。

自分がこの部屋から出られるようになるまで、あとどれほどの月日が必要なのだろう。10年くらいだろうか。いつかはこの精神の子供部屋から出て、大人として活動できることができればなと思う。

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