今年に入ってから、停滞していた自分の人生を進めようと、新たなことを始めようと、色々動き始めていた。
一番はフィットネスボクシングを始めようとしていたことだった。これはアメリカにいた頃からやろうと思っていたことで、一番古くは2023年のブログにその意志を書いている。
長らく読書やネットサーフィンをしている過程で、PTSDと格闘技の親和性の良さには気がついていたのだが、直接的なきっかけは、NIH時代のラボメンバーがボクシングジムに通い始めたことだった。優しく、ベジタリアンの、格闘技からは全然イメージできない彼から、ボクシングジムに通い出し、スパーリングで怪我した話を聞いてから、私も自分のイメージからはかけ離れたボクシングをすることで、病に犯されてニッチもサッチも行かなくなっている現状を変えられるのではないかと思い始めた。
ただ、なかなか腰が重く、というのも誰の紹介もなく一人でボクシングジムの門を叩くというのは勇気のいる作業だった。アメリカにいるうちにはそれができず、日本に帰ってからも仕事に忙殺されて、なかなかその勇気が出せずにいた。だが、今年に入ってから、仕事に慣れ始めたのか、トラウマに恐怖突入することで、少しずつ体調が回復し、ボクシングを初めてみる気力も徐々に湧いてきた。
そこで今年の4月から、まずは体験入店から始めることにした。
その上で自分が気をつけていたことは「しっかりと自分の意志でジムを選ぶ」ということであった。アダルトチルドレンで幼少期から選択の道が少なく、あったとしても勝手に親に選ばれたり、自分の欲求よりも周囲の期待に合わせて選択し続けてきた自分にとって、何かをしっかりと吟味して選ぶということは苦手な作業であった。
今回は「選ぶ練習」として、近所のボクシングジムを複数ピックアップして、体験入会を何個か試した後に決めることにした。
4月に家の近所のボクシングジムと、職場近くのキックボクシングジムに体験入会した。妄想では体験入会の後、入会を延期しようとする自分を「そこをなんとか是非」とか懇願され足止めされて、入会するまで店から出られなくなるような姿を思い描いていたのだが、実際はそんなことは起こらず、一度断ると、「今日はありがとうございました。お疲れ様でした」と言い、すぐに店を出してくれた。
自分の頭は、何か未体験の新しいことを始めようとすると、すぐにこういう突拍子もない妄想で犯され、エリー(扁桃体)が自分をストップしようとしてくる。
家の近所のボクシングジムは昔から経営している古いジムで、スパーリングも行われていて、本気度が高かった。悪くないジムだが、仕事帰りに通うにはアクセスが悪かった。また後日通ったキックボクシングジムの方では、職場からのアクセスがよく、何よりキックボクシングではボクシングと違い裸足で行うため、シューズの持ち込みが不要で、そこに魅力を感じた。シューズを持って通勤するのはかなり面倒である。スパーリングが行われていないのが、少し物足りないが、まずは痩せて筋力をつけることを目的としているので、そこは必要ないかなと感じた。どうしても腕試しに人を殴りたくなったら、ジムを変更すればいい。
もう一つ、自分がボクシングよりもキックボクシングがいいと思った理由は、護身術という意味も込めてより実用的だと感じたからだ。自分は男なので暴漢に襲われる機会はそれほどないように思えるが、そういう機会に遭遇した時に、普通はリーチのある足を使うと思うのだ。パンチよりもキックの方が威力も高い。実生活での実用性というものを考えたときに、キックボクシングの方がより現実的だと感じた。あと、サンドバッグを蹴っているときに、脚の裏の筋が伸びる感触があり、それが心地よかった。
もう一軒、体験入会してから、そのキックボクシングジムに入会しようと思っていた矢先、自分はパニックを経験し、精神神経科に通い出し、一気に余裕がなくなった。
症状に対処し、仕事の締め切りをこなし、また自分に余裕が舞い戻ってくるまで、五ヶ月もの時間がかかった。9月14日に気が向き、職場近くのボクシングジムに体験しに行き、やはりキックボクシングがいいなと思い、9月19日に入会し、9月24日に初めてジムで汗を流してきた。2023年の年始に意識し始めてから、実現まで、実に2年半もの月日が流れた。
だが、いくら時間が流れようとも自分はついにそこに辿り着けたのである。
もう一つは、今年の頭に入ってからだと思うが、もう一度、病院に通い、自分の複雑性PTSDと向かい合ってみようというものだった。
そういう思いを抱いた一番の要因は岡田尊司先生のクリニックが大阪にあるからであった。書籍で散々お世話になり、人生を救ってくれた岡田尊司先生に直接会える機会があるかもしれないと思うと、やはりその可能性に懸けてみたかった。
パニックを経て、その思いは強まり、8月31日に自分は予約フォームから岡田クリニックへ長文のメッセージを送信した。
担当の人が丁寧に自分の長文を読み、咀嚼し返答をくれた。残念ながら、岡田クリニックへ通えるというものではなく、かわりに日本心理教育センターというカウンセリングサービスを勧められた。やはり、著名な先生のクリニックは人気もすごいのであろう。
日本心理教育センターではトラウマケアにも力を入れている感じだったので、岡田先生には会えないけど、自分はそのサービスを受けてみることにし、9月27日に現地を訪れ、カウンセリングを受けてきた。
今回はトラウマに立ち向かうという意味で、一緒に戦ってくれる力強い男性をカウンセラーさんとしてイメージしていたのだが、今回も女性の方だった。だが、感触が合わなければ担当を変えてくれるということで、またその方はトラウマケアを専門としているらしかったので、とりあえず受けてみることにした。
担当のカウンセラーさんとはすごく波長が合いそうで、自分のこれまでの一連の苦悩を丁寧に聞いてくれた。その中でポリヴェガール理論という聞いたことのない概念を教えてくれて、自分は早速複数本をダウンロードし、勉強しようと思っている。
カウンセラーさんは自分のこれまでの取り組みを、特に自分がトラウマ元と縁を切るために振り絞った勇気をすごく褒めて下さった。また現在、スポーツをしたり映画を見たり銭湯に行ったりと多趣味な自分の状況を病に立ち向かう上ですごくいいことをしていると褒めて下さった。
今回のカウンセラーさんもアメリカからお世話になっているカウンセラーさんも、その手のエネルギーの供給源のようなものを「リソース」と呼んでいる。
ただ同時に、現時点ではトラウマ元との縁がきれ、あまり困っていないことや、5月に今の職場で起こったトラウマの再体験による過覚醒・パニックに関しても薬や通院を経てうまく対処できていることを加味して、そこまで早急な対応が必要ないことも伝えてくれて、自分もまた「これ以上何を話せばいいのだろう」という感じであった。
ただ、今は良くてもこれからまたストレスレベルの高い状況に陥ることで、また困難に陥る可能性もあり、低頻度でカウンセリングに通ったりするのはいいことなのかもしれないと、そんな感じで話を終え、セッションが終わった。今後、通うかどうかはわからないが、ポリヴェガール理論も知れたし、新たなリソースもできて、よかったように感じる。
最近は仕事軸・人生軸と二つの軸に分けて自分の生活を捉えていて、仕事を進めている時間以外ではなるべく人生に目標をつくり、そちらを進めるイメージで頑張っている。もちろん、仕事も人生の一部なのではあるが、それだけではしんどくなる一方だし、味気がない。本当は恋愛・結婚・子育てみたいなわかりやすいライフイベントが人生軸の目標としては理想だとは思うのだが、病によりそれらが大幅に遅れ、未だに実家から出ることさえ億劫な自分にとっては、それ以外のことが必要になる。今回のように、キックボクシングに通い出したり、岡田先生にメッセージを送ったり、そういうなんとなく「やりたいこと」である。そういうことをイメージするだけでなく、実行し、一つずつやってみたいことリストを消化することで、人生を少しずつ進めていこうと思う。
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