ここ一週間くらいで一気に寒くなり、ダウンが必要になった。気づけば渡米初期に購入したダウンを帰国してからも合わせて7年近く着用していることに気づき、昨日、思い切って6万円もする新しいダウンを購入した。これもまた、長く着るつもりなので、年間一万円くらいの投資になると思う。
アメリカにいる間は「人生半分、研究半分」という感じで、複雑性PTSDの症状を和らげながら、大量に読書をし、日記をまとめ、カウンセリングに通い、自分の人生を見つめ直すことに長い時間を割き、研究は平日のラボにいる時間だけ、与えられたプロジェクトをやっていただけで、決して研究に身を捧げているみたいな状況ではなかった。それでも、しっかりと頭を使い、真面目に実験していれば、平日のコアタイムの研究時間だけでも、論文が出てしまったりもするのである。
日本に帰ってきてからは、自分の人生の振り返りやカウンセリング活動が一段落していたこともあったが、日本のアカデミア研究環境の特性上、「ガチ研究者モード」に突入せざるを得なくなり、それがパニックの引き金となり、通院するに至ってしまったのだが、通院しながらも服薬しながらも、依然としてガチ研究者モードで仕事を続けている。
以前のブログにポスドクとしての任期が近くなってくると、新しいプロジェクトに挑戦しなくなるということを書いた。
自分が携わる生物学の実験科学では、前任者のプロジェクトの引き継ぎというのが、比較的難しくある。誰をファーストオーサーにするかというオーサーシップの問題に加えて、前任者の実験の再現性が怪しかったりするということが多々あり、基本的に、任期内にポスドクがプロジェクトを初めから終わりまで完遂することが望まれる。
そうなってくると、任期の終わりが近いポスドクは、新たなプロジェクトを始めても、完遂できないし、それを後任者が引き継いでくれるとも限らず、また自分のオーサーシップを律儀に守ってくれるとも限らないため、努力が無に帰する可能性が高く、よほど利他的な人でない限りは新しいプロジェクトに着手しようとはしなくなるのである。ただ、それってラボにとっても、研究業界にとっても、あまりいいことではないのではないのじゃないか?ということが以前のブログで書いたことの要約になる。
最近度々思うことは、研究にはキャリア的な側面と、個人の経験としての側面(後に書くエネルゲイア的な研究)、両方があるなということである。それは自分が以前書いた、人生には成し遂げる面と享受する面の両方が存在するということにも類似する。
人生には”成し遂げる”側面と”享受する”側面の両方が存在する
「キャリアのための研究」というのは文字通り、自分のアカデミアキャリアのために研究を行うということであり、トップジャーナルに論文を通し、それをもとに研究費を獲得したり、上のポジションについたりするために研究するということである。それは厳しい、競争の世界であり、それにより加速度的に研究が進んでいくという側面は確かに存在すると思う。
「どうやってトップジャーナルに論文を通すか?」「どうやって任期のうちに仕事を完遂させるか?」「どうやって作業を効率化し、仕事量を上げることができるか?」そういう難しいことを実現させようと思うと、本当に頭脳をフルで使わなければならないし、そういう絶え間ないアイディアの蓄積がイノベーションの礎にもなっているのだと思う。
研究論文が掲載される学術雑誌にはインパクトファクターとしう数値が存在し、それにより雑誌間に序列がある。
Nature、Science、Cellというのがいわゆる「三大誌」と呼ばれる、1等賞的な雑誌で、これ以上は基本的に存在しないレベルである。1等賞的のIFは30~40になり、極めて高く、IF20前後で2等賞、IF10前後で3等賞、IF5前後で入賞、それ以下で努力賞といった感じのTier listになっている。
研究論文というのは、ランクを落とし続ければ、いずれどこかのTierに落ち着き、最終的には掲載される、というのが自分の見解である。どんなに小さい発見でも、論文としての形になっていれば、最悪、努力賞という形で世界へ公表される。自分はこのシステムをすごくいいものだと思っている。
努力賞というのは残念ながら「あなたの研究、他と比べて、そんなに面白いものではありません」と評価された「印」になってしまうのだが、それはあくまで「現時点」での話である。「どんな研究が役に立つか、後に評価されるか」というのは研究者が束になっても未知数である部分が多く、事実、発表当時は努力賞であったが、後に評価されノーベル賞を受賞した、というのはしばしば聞く話である。
最近はbioRxivやその他のプレプリントサーバーがたくさん存在し、査読前の論文をタダで公開することができ、これらの未査読論文も引用の対象になる。ただ、非常に興味深いことに、かなりの数の論文がbioRxivに公開されて以降、査読付きの雑誌に掲載されないまま放置されている。
自分はあくまでそういう論文をちらほら見るだけで、実際にプレプリントサーバーに論文をアップするだけの研究者には会ったことがないので、なぜ、その後、何年経っても査読付き雑誌に掲載されないのか理由を確かめたことはない。
考えられる理由は複数あり、第一は「数年経っても査読中」であるというものだ。事実、論文の査読期間は、早いものでリバイズなしから、長いもので数年単位のリバイズが必要になるものまで様々である。第二の理由は「前任者がラボを離れ、リバイズの引き継ぎ手がいない」というものである。いくらPIに命令されようとも、ポスドクや学生にも自分のプロジェクトを選ぶ権利が存在し、必ずしもプロジェクトの引き継ぎが行われるわけではない。よほどIFの高い雑誌にリバイズ中ならそのようなことも生じずらいが、入賞から努力賞以下の雑誌では、予算獲得やキャリアアップに通じないため、引き継ぎが出てこない可能性が高くなる。
三つ目の理由は、個人的にこれが一番可能性が高いと思っているのだが「IFの低い雑誌に論文を掲載されたくない」という研究者のプライドが原因となっているものだ。先ほども書いた通り、論文というのはランクを下げていけば、いずれはどこかに掲載され、最終的には努力賞のランクまで下げることができる。ただ、研究者というのはおおむね高学歴でプライドが高い生き物。自分の手塩をかけた論文が、努力賞雑誌に掲載されるという事実に耐えられないのである。敗北を受け入れられないのである。仲間内でバカにされたくないのである。
bioRxivに掲載されているうちは、受験生、あるいは浪人生の段階で、どこのクラスの大学に合格するかは未知数であるが、自分が受かるクラスの大学に合格し、入学した時点から、暫定的な評価は決まってしまう。bioRxivに論文を載せたまま、査読付き雑誌に掲載されていない論文は、いわばその評価を避けるために、何浪もしている状態である。
個人的には研究者のこういう姿勢をあまり評価しておらず、敗北が認められない彼ら彼女らを、心の中で”bioRxiver”と呼んでいる。が、あくまでこれは自分自身の負け惜しみの一つでもある。なぜなら彼ら彼女らはPIにはなっていて、自分はその段階にすら上がれていないから。ただ、自分がPIになった暁には、自分の小さいプライドのために、努力賞を拒否してまでbioRxiverにはなりたくないなとも思うのである。それは、自分の発見を世に伝えるという研究者としての職務放棄な気がしているから。
一方で、努力賞的な論文が、キャリアアップや、予算獲得にほとんど効果をもたらさないということもまた事実であると感じる。実際のところどうかはわからないが、例えばファーストオーサーとしてPlos One(努力賞クラス)を30本持っている人とNatureを1本を持っている人だと、Natureを1本持っている人の方が、評価されるという感覚がある。それは、Plos One30本は「時間さえかければ達成できる」ものであるのに対し、Nature1本は「どんなに時間をかけても、達成できる可能性が極めて低い」ものであるから。マラソンを時間制限なしで、30回完走することは、もちろん、本人は頑張ったのだろうが、あくまで努力賞の範囲で、1回のランでも2時間半を切り、オリンピック選手に選ばれるような記録を打ち立てるような人の方が評価される。その違いである。
かくして、自分もそのような競争世界に巻き込まれ、病と格闘しながら、キャリアアップのために研究を頑張り続けているわけであるが、「キャリアのための研究」だけでは、どんどん身が削られ、しんどくなるし、どんどん殺伐とした荒野になっていき、人が離れて、研究業界のためにもならないとも感じるのである。
研究も業績で競い合う、プロの世界なのであるが、プロスポーツほどは競争の厳しくない、セミプロの世界だなと感じる。それはプロスポーツほど競技人口が多くなく(博士号を持っている人たちちというマイナー人種同士で競い合っている)、人気も少ないため集金力もあまりなく(PIと呼ばれる一流選手でも年収せいぜい1~2千万の世界)、そもそも競争の度合いが限られるという点にある。そのくせ、ポスドクは長時間労働で低賃金、また研究室という小さい集団が単位になっているため、ハラスメントも横行しやすく、ブラックな環境になりやすい。将来の研究の担い手はどんどん少なくなっているため、空いているポジションがたくさんあり、病気持ちの自分でもいまだに選手として活躍できるのである。
また、プロスポーツの世界ほど、数字だけでも評価されないというか、数値化が難しい世界でもある。例えば、プロ野球では打率350の選手の方が、打率300の選手より評価される、数字が全ての世界なのであるが、研究の世界ではIFの高い雑誌に載った論文の方が低い雑誌に載ったものより評価されるとも限らないのである。例えば、引用数なんかがその最たる例で、Natureに掲載されたからといって、必ずしも100回引用されるというわけでもなく、むしろPlos Oneに掲載された論文でも100回引用される論文というのは存在するのである。論文が雑誌に掲載されるというのはスタートラインで、その研究がその後の研究業界、あるいは社会にどのような影響を与えるかというのは文字通り「未知数」である。
また研究には「固有値」のようなものも存在すると考えている。多くの人はつまらないと感じる論文でも、誰か一人にはものすごく刺さったり、誰か一人の研究にはものすごく役に立ったり、その研究をまとめ上がる中での努力が、研究室内で、ものすごくいい効果をもたらしたり、仲間との協力の中でいい思い出が生まれたり、また悪い思い出やクソメモリーと呼べるほどのものが生まれてしまい、それが後々ブログのネタになったり。
その意味で、研究業界というのは、プロスポーツの世界というよりはむしろ、芸能の世界に似ていると感じる。例えば、映画なんかでも、ものすごくヒットした映画でも、あまり面白いと感じられなかったり、その逆もまた然り。「面白さ、美しさ、感動、興奮、衝撃、その他諸々」の数値化しづらいものの中で競争しているという点で、研究と芸能というのはすごく似ていると思う。Natureの編集者も人間であり、Natureに掲載された論文というのは、あくまでその人たちが評価した論文ということで、それが万人に刺さるとは限らないのである(もちろんNatureの編集者はバリバリ優秀であり、故に高いIFをキープできているのである。週刊少年ジャンプの優秀な編集者たちが雑誌の売り上げをキープしているのと極めて似ている。)
最近、自分が暫定的にたどり着いた結論は、そういう「キャリアのための研究」を頑張ると同時に「エネルゲイア的な研究活動」も意識するということである。
「嫌われる勇気」を呼んだことのある人なら馴染みのある「エネルゲイア」という概念。マインドフルネスの概念にも似ているが、始点と終点、つまりキャリアのようなひと繋ぎのもの、「何かを成し遂げる」というキャリア的なものを気にせずに、今ここのダンスを楽しむかのような感覚。それがエネルゲイア的なもの。
その時その時の発見の感動を自分自身で噛み締め、味わう感覚が、研究活動にも必要なのではないかと思う。
むしろ、研究の歴史をかえりみれば、そういう「エネルゲイア的な研究」こそが研究の本質にあるのだと思う。まだ学術雑誌もない時代から、人間活動には「新たな発見」がつきものであり、最初は自分自身の驚きだけで満足できていたものが、次第に家族や友達にも伝えたくなり、ひいては自分があったことのない人にも、己の発見を伝えたくなる。初めは、個人の伝記的な形からその表現方法が始まり、学術雑誌が登場し、今の研究形態が出来上がっていくわけだが、その根幹には、今も昔も「個人の発見の喜び」があると思う。
以前のブログにも書いたが、本来、公的基金を使って、個人では購入できない効果な顕微鏡、実験試薬を使って、研究活動を行うということは、本来ものすごく恵まれた、幸せなことのはずである。
事実、アカデミア業界がどんなものか全くわかっていなかった、理科の実験が大好きだった自分は、ただただそういうことがしてみたく、理系の大学に進学したのだ。かつての自分は、実験ができているだけで、試薬を混ぜると色が変わったりするだけで驚き、満足する少年であった。高校の化学の実験で、余った廃液を混ぜ合わせると、何かとんでもないことが起きるのではないか?と、そんなことに胸を躍らせる少年だったのである。
アラフォーになっても、毎日顕微鏡を除き、ピペットマン作業できていることを、高校生の自分に伝えることができたとしたら、彼はとても幸せに感じるはずなのである(アラフォーになっても彼女できたことがないと伝えると絶望すると思うが…)。たとえそれが論文にならなくとも。キャリアアップにつながらなくとも。
懸命に研究活動を続ける中で、「嫌な人間活動」というのにも遭遇し、素直に喜んで実験するのも難しくなってくる。特に学生時代は自己愛性人格障害の教授が束ねる研究室に行ってしまい、「自分の研究成果が他者に奪われる危機」ということにも遭遇し、その他諸々の過度なストレスに長時間さらされ、複雑性PTSDを発症した。
当時「研究成果を奪われないために、もっとちゃんと自己主張できるようにならなきゃ、強くならなきゃ」としきりに思っていたが、アメリカの研究室ではよきPIに巡り合い、そういうPIが束ねる研究室では、黙っていたとしても「これあなたの出した実験結果だよね?」と向こうから気遣ってくれ、決して騙したり、しれっと知らないふりして成果を奪ったりなどしない。幸い、今の日本の研究室でも、労働そのものはハードであるが、そういうモラルは保たれている。
病を経て、色々感じてきた中で、自分がたどり着いた結論は「悪意のある人の前ではどう抗っても無駄」であるということだ。そういう人の前では、自分がいくら自己主張したところで、平気で事実を捻じ曲げてくる。そんな人とは無駄な争いなんかせず、早めに離れて、より良い環境を求めた方がいい。選択を繰り返すうちに、環境選びも上手くなっていく。
最近はキックボクシングさえ続けていて、自分の攻撃性やストレスをそこで発散できてさえいれば、アカデミアのプロジェクトや業績のあれこれで、しょうもない小競り合いをしなくてもいいかなと感じてきている。それくらい自分は、そういういざこざが苦手だし、そのためにはそんなに奮闘できない。
多分、研究を続ける中で、これからも一定の割合で、そういう「嫌なこと」というのに鉢合わせると思う。そういう時に、キャリアのみを念頭に置いていると、それを守るのにアホらしくなり、とっとと研究キャリアを放棄した方がマシだと感じるだろうし、その選択も決して否定しない。でも、そんな時に自分の精神を保つためにも、キャリアを頭の片隅に置きつつも、エネルゲイア的に研究することに意識を割くことも重要かなと感じる。
どんなに悪代官のPIでも、あなたの発見が、あなたの発見じゃなくされたとしても、あなたが顕微鏡で確認した、最初の発見の喜びまでは奪えない。
でも、ここまで達観できるようになったのも、自分が病を患いながらもキャリアの中で、アメリカのビッグラボで論文を残せたり、誇りになるような、他者から羨ましく思われるような成果を少なからず残せたからかなとも感じる。
海外留学を経て、少し自分に余裕ができたのだと思う。

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