本来、研究できることは幸せなことのはずなのだ…

研究

この記事は自分がパニックになる前から書こうと思っていたもの。まだ頭の中が完全にまとまってはいないが、キリがないので、頑張ってまとめてみようと思う。

日本に帰ってきてから、複雑性PTSDを患いながら、時に過覚醒を起こし、ビクビクしながら研究し、お世辞にも幸せとは言いづらい状態であった。

アメリカにいた頃は、孤独で、原因不明の希死念慮もあり、教授や先輩の幻影から逃れ続けているような状態であったが、そんな状態でもなぜか、心の底から「幸せだな」と実感することが多かった。そんな状態が7年も続いて、それが今のつらい状況の心の支えともなっている。

「幸せの構成条件」というのは難しいなと、時々考える。例えば、「一生彼女には困らないが、一生甘いものを食べることができない」みたいな人生を考えた時に、やはり両手放しに幸せとは言いづらいと思うのだ。幸せというのは、色々なファクターが満遍なく満たされた状態のことを言って、どれか一つのファクターが傑出していても、別のファクターが大幅に欠落している場合、幸せは成立しづらい。

アメリカにいる時に偶然見つけた動画で、お気に入りのものがある。それはビンにボールや砂利や砂を詰めていき、幸福な人生を表現するという動画である。

この動画では、家族、友人、健康と情熱がファーストプライオリティだと言っている。自分がアメリカにいる時に心底幸せだと実感する機会が多かったのに、それでも日本に帰ろうと決意したのは、これ以上のアメリカ生活では、自分の家族との時間や自分の健康を失ってしまうと思ったからである。

それでも、アメリカ生活で幸せだと実感する機会が多かったのは、自分の存在が好意的に受け入れられる機会がものすごく多かったからであろう。この動画の中の、家族、健康以外の、ゴルフボールから小石サイズの要素が非常に多く、みっしりと詰まっていたからであろう。

今の職場を含めて、日本のアカデミア業界は、過度な競争、少ないリソースの奪い合いから、同じ研究室の同僚同士の中が拗れてしまうことが非常に多いように感じる。同じポスドク仲間といえど、PIポジションを競い合う間柄であり、相手の成功は自分の敗北につながる。そんな中で、そういう嫉妬心を一旦横に置いて、助け合いながら友愛的に仕事をしていくには、非常に成熟した人格が必要なのである。

アメリカにいる頃は、この状況が少し違ったのだ。NIHでは同じ研究室に世界各国からのポスドクが集まっていて、常識感覚が異なったまま、お互い主張したり妥協したりしながら研究していた。彼らは多くの場合、祖国に帰ってポジションを獲得することを目標としており、それにより、ポジションを求めてポスドク同士が拮抗し合うという機会があまり生じなかった。だから余計な嫉妬心も生じにくく、疑心暗鬼にもなりづらく、真心からお互いを助け合うことができた。

自分にはそういう環境があっていた。自分は人の役に立って、人からありがとうと言われるのが好きなのである。アメリカにきて、NIHにきて始めて、自分の行いが疑いの目を持たずに感謝され、自分の成功を喜ばれる、という貴重な経験をすることができた。

また、同じ研究室に日本人がいなかったこともあり、自分のアメリカでの日本人付き合いは、他の研究室や、研究とは関係ない人が構築されていた。かつて「アメリカに来ると日本人が優しくなる」というブログにも書いたが、日本人が希薄な環境で形成される日本人村の中で、自分の存在はありがたがられ、尊重され、みんなと楽しい時を過ごすことができた。

日本に戻り、再び自分の存在が友好的に受け入れられづらい環境に置かれたことで、自分には何かしらのセーフティーネットが必要だと感じた。周りが自分を受け入れてくれないのなら、せめて自分自身で自分を受け入れるしかない。

そのセーフティネットというのは、研究をやめても自分が崩壊しないように、研究者以外の自分を受け入れる準備だったり、研究者としての自分以外を受け入れてくれない母を、どうにか説得することであったり、プロとしての研究をやめても、アマチュアとして何かの楽な仕事の傍ら、データベースを構築したり、レビューを書いたり、趣味として研究に携わる方法だったりした。AlphaFoldやその他もろもろのデータベースが充実している昨今、新たな実験データなしに、思考実験、あるいはドライデータだけでも、ある程度の論文は書けるのではないかと思っている。

実際、5月にパニックに陥った時は、こういう想像をよくしていて、その場合、unaffiliatedで論文を投稿できるのか、誰か知り合いのラボにお願いして論文を出してもらおうか、とかそういうことを思索していた。

パニックを経て、通院を始めた現在、お医者さんの存在や、薬の存在も自分のセーフティネットとなっている。睡眠薬一つで、扁桃体のエリーちゃんが落ち着いてくれ、焦燥感や恐怖心をあまり感じずに、自分の仕事に集中できるようになった。

5月以来、ストップしていたものを、また再スタートできるかな?と考えている。

本来、研究できるということは幸せなことのはずなのである。公的基金を使い、高価な実験設備のもとで、知の探索を行い、後世に自分の発見を名前を残しつつ伝えることができる。こんなことができることが不幸せなはずなどないのである。

でも、幸せの構成条件が難しいのと同じで、いくら研究活動ができていようと、健康を損なうぐらいハードワークをしてしまったり、プライベートに割く時間がなさすぎたり、同僚に存在を疎まれたり、ボスに非人道的に奴隷のごとく扱われたり、業績という競争から逃れられなかったり、色々なネガティブな要素の連続で、恵まれたことをしているはずなのに、幸せを感じられないということは容易に起こりうる。

もったいない話だなと思う。

今でも尊敬している、NIH時代のボスは「その時にできるベストをやり続けること」を大事にしてきたそうだ。実際、彼の表情から、希望と情熱を失わずに、夢を見て、ポスドクの立場であろうが、PIの立場であろうが、研究費が多かろうが少なかろうが、その時々でできることがゼロになるということはなく、できる範囲の中で、最大限やってきたのだろうと、そういうことが伺えた。

彼と違って、強い部分が少なく、弱音を吐きまくりな自分ではあるが、自分もまた自分のできる範囲で、彼のそういう姿勢を真似したいと思うのである。

なんとなくだが、これが研究者としてのラストランになるかなと感じている。この先PIとしてステップアップできれば、自分のペースで仕事ができる状態が訪れて、そうすればもう少し研究者を続けられるかもしれない。だが、また新たな日本の研究室で、ポスドクとしてシャトルランのような研究生活を送ることは気力的にできない気がする。でももしかしたら、海外でなら苦なくポスドクを続けられるかもしれないし、場合によっては定年まで任期付きのポスドクとして、流浪のポスドクとして世界を転々とし、定年まで研究生活を全うするかもしれない。

結果がどうであれ、任期はやってくるし、その前にクビを切られる可能性ももちろんある。でも、未来がどうなるかはその時になってみないとわからないし、自分は自分のできる範囲で、自分にできることをこなしながら、多少将来の設計を戦略的に行いつつも、あとは時の流れに身を任せるしかないと、改めてそう感じるのである。

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