格闘ゲーム禁止の家庭で育った自分がキックボクシングを習い始めるようなるまで

私的なこと

あけましておめでとうございます。今年も「うつ病な研究者のブログ」をよろしくお願いいたします。

昨年の【祝】7日連続夜歯磨き達成!!!以降、いまだに連続して歯磨きもできている。家族と共に、心の温まる年末年始を過ごし、束の間の休みを経て、明後日からまた仕事である。今年はどんな年になるのやら…とりあえず、仕事を頑張りながら、キックボクシングとランニングとともに、最強を目指すより他あるまい…

自分がキックボクシングを習い始めたと言うと、自分を昔から知る友人たちはみんな驚く。それくらい、キックボクシングというものが自分のイメージからかけ離れたものであるということである。

自分は幼少期を含めて人を殴ったことがないし、喧嘩らしい喧嘩もしたことがない。人と揉め事を起こさないように細心の注意を払い、自分から謝って、なるべく揉め事を起こさないように生きてきた。ただ、芯の部分の自分が「暴力が嫌いか?」と問われると、嫌いとは言い切れない。子供の頃から、男の子が好みそうな戦隊モノ・ウルトラマン・ドラゴンボールそういうものが大好きだった。典型的な男の子だったような気がする。

ただ、人生を通じて、母は自分からそのようなものを排除しようと、近づけまいと努力していたような気がする。「優しい子に育ってほしい」という願望を通り越して「優しくなければ人間失格」くらい強烈で強迫的な禁忌のもと、ヒステリックな怒りを持って自分は躾けられた。

実際、母に育てられなかったとしても、自分は優しく大人しい人間に育っていたとは思う。ただ、やられてもやり返さないようなガンジー並みの非暴力的な人間に育ったのは、母のせいだったように感じるし、本来の自分は、動物性に抗うレベルの、徹底した平和的な人間ではないと思う。なぜなら、父も母もものすごく感情的でよく怒って、その感情を子供にぶつけるタイプであったから。そんな両親から生まれた人間が、そこまで平和的に育つのは不自然である。

幼稚園に入った時点で、自分は「やり返さない子供」だったそうだ。幼稚園の隣の席に攻撃性の高いT君という友人がいたのだが、その子にいくら叩かれても、泣くだけで、決してやり返さなかったそうだ。最近になって母が話してくれたのだが、幼稚園の先生がわざわざ母に「やられているのに全くやり返さないのはよくない」と告げてきたことがあるそうだ。だが、当時の母はそれに関して特に深く考えず、「やり返さない優しい子の方がいいに決まっている」と考えていたらしい。

小学生になり、友人と遊ぶ中で、自分はストリートファイターやドラゴンボールといった「格闘ゲーム」を覚えた。自分は格闘ゲームが大好きだったが、格闘ゲームは母が最も嫌うものの一つで我が家では禁止であった。実際、「子供に格闘ゲームをさせると残酷な子供になる・生死の区別がつかなくなる」みたいな言説は平成初期に蔓延っていたように思う。母はその言説を信じていた。だから大人になるまで、自分が格闘ゲームをプレーできたのは、友人宅のみであった。

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子供ながらに母のこの思想は間違っているもののように感じられた。なぜなら、格闘ゲームを持っている友人たち、誰一人として、人を殴りまくったり虐めたりするような人はいなかったから。ただ、母は子供からの説得が通用するようなタイプではなく、子供だった自分はそれらの考えをオープンにすることなく、たまに友達の家で格闘ゲームを楽しむくらいで、子供時代のゲーム経験を終えた。

父が言っていたのだが、母は女系家族で育ち、男性性というものに対して、いまいちピンときていないらしい。実際、母方の家系は女姉妹で埋め尽くされていて、料理・お菓子作り・手芸・茶道・書道・花道、その手のもので満たされている。それに加えて、母は自分の理解できないものを理解しようとしないところがある。戦隊モノとかウルトラマンとか自分が興味の持てないもの、あるいは自分のバックグラウンドからは理解し難いものを前にした時、「自分にはわからないけど、男の子はこういうものが好きなんだな」とかそういう発想にはならず、「何がいいんだこれ。よくわからないけど、なんか悪そうだから、我が家では禁止しよう」みたいな思考になる。

長年母を観察していると、彼女がものすごくエネルゲイア的に、マインドフルに「今ここ」に集中して生きていることがわかる。だから、前後脈絡なく、今感じたことを言ってしまうし、今感じている感情を表に出す。全く学習することなく、何度も同じ失敗を繰り返すが、改善することなく、その都度激しく落胆し、でもすぐに忘れ、また同じ失敗を繰り返す。

「格闘ゲーム=子供が残酷に育つ=禁止」みたいな考えに一度囚われると、その考えは決して改められることがない。「格闘ゲームが禁止されることなく、販売されているということは、実はそれほど危険なものではないのでは?」「他の家庭では購入されているけど、誰も少年院に行っていないから、実際は大丈夫なんじゃなかろうか?」とか包括的に、俯瞰的に、大局的に物事を捉えることが極めて苦手である。

でも、自分にもそんな融通が効かない強迫的な血が半分は入っているからこそ、自分は研究者になれたのかなと思う。父と母を観察していると、勉強ができるのは父だが、何かを強迫的に徹底する気質というのは間違いなく母から来ていて、そういう気質は研究者にとって非常に重要なものなのである。

そんな幼少期を振り返ると、「やられてもやり返さない」「悪くなくても自分から謝る」「低姿勢・謙虚」「非暴力的で温厚なプーさん的存在」みたいなことがよしとされ、母の強迫的で徹底できる性質も相まって、自分は実際にそのように育った。

一方で母は自分に社会的成功も求めた。カウンセラーさんにそのことを伝えた時、それはダブルバインド(二重拘束)だと言われた。ダブルバインドとは二律背反することを同時に求められることであり、心理的に非常に負荷のかかるものであることが知られている。

実際その通りだと思う。やられてもやり返さない、悪くなくても自分から謝る、低姿勢・謙虚、非暴力的で温厚なプーさん的存在が厳しい社会の荒波の中で成功するというのは非常に難しいことだろう。

だが母はそのようなことがイマイチわからない。そう説明されても「いやそんなことないだろ、できるだろ」と謎の自信で説得を突っぱねる様子が容易に想像できる。

実際のところ、学生時代まではそのスタイルでうまくいっていた。父の勉強ができる性質をうまく受け継いだため、大学生までの間をほとんどを優等生として過ごすことができた。

勉強やテストは基本的に自分一人の中で完結する。

自分の人生がうまくいかなくなり始めたのは、研究室(社会)に入ってからであった。学校の勉強と違い、社会というのは非常に複雑で多様な能力が求められるフィールドで、動物にとっての野生そのものである。自分にとって研究室というのは多様な能力が求められる野生的な社会そのもので、そんな中で偏重的な育ち方をした自分が学生時代と同様、順風満帆な生活を送るには無理があった。

「やられてもやり返さない」「悪くなくても自分から謝る」「低姿勢・謙虚」「非暴力的で温厚なプーさん的存在」だけど「勉強と研究ができる優秀な存在」だった自分は、自己愛的な悪い大人たちからいい手駒として扱われ、思う存分搾取され続け、でもそれに対して抗う術もなく、うつ病・パニック・複雑性PTSD的なものを患った。

アメリカに留学し、一度人生のレールから外れる機会を得て、そこで牧歌的にストレスフリーな状態で働く中、カウンセラーさんに出会った。そこで徹底的に自分の人生を見つめ直した。たくさん読書し、自分や他者の存在を学術的に捉えること努めた。

その過程で自分はまず格闘ゲームを自分の人生に取り入れた。それは反抗期なく過ごした自分の、30歳を超えた遅れた反抗期であり、そのおかげで、自分の欲求や不満を表現することが多少できるようになった。

だが、格闘ゲームだけでは、実際の自信はそれほどつかず、自分は何かに怯え続け、時折PTSDを発症し、パニックに陥った。そして昨年、ついにそのパニックが大爆発し、自分は通院を始めた。

自分には格闘ゲーム以上の何かが必要だった。

長年、カウンセリングに通ったり、メンタルヘルス関連の本を読んだりネット記事を見たりしている過程で、格闘技がPTSDの治療に良いということを知った。少しずつ興味が自分の中で増大していったが、周囲に格闘技をしている友人はおらず、なかなかキッカケを掴めずにいた。

思い返すと、学生時代に研究室に通う中で、自分はしばしば「ボクシングやっていたらな…」と感じていた。もしボクシングやっていたら、意地悪な教授や先輩も、舐め腐ってくる同期や後輩も、拳一つで、暴力の恐怖で黙らせることができるのに、ずっとそんなことを妄想していた。プーさん的で搾取され続けていた自分ではあったが、腹の底ではそんなことを考え、実際にはナイフや鈍器で彼らをぶっ殺す妄想をよくしていた。だから、やられてもやり返さない、悪くなくても自分から謝る、低姿勢・謙虚、非暴力的で温厚なプーさん的存在な自分というのは母の強迫によって作り出された自分であり、本当の自分はもっと、単純な男の子であり、力に憧れを抱いている存在だったのである。

昨年の夏の終わり頃から、勇気を持ってついにキックボクシングジムに入会した。肉体的疲労からか、一度だけパニックを起こしてしまったが、それ以降は問題なく続けている。

人に対してではないが、サンドバッグやミットに対して、パンチやキックを打つようになった。こんなにたくさんパンチやキックをするのは、もちろん人生で初めてである。キックボクシングというのは実際のところ、体力的にきついもので、毎回終わる頃にはまあまあの汗をかいている。

キックボクシングを始めて気づいたことがいくつかある。一つは何かをパンチしたり、キックしたりすると、なかなか自分の手足が痛いということである。特に、サンドバッグを蹴るのはかなりの痛さがあり、強く蹴れば蹴るほど自分も痛いので、いまだに思いっきりサンドバッグを蹴るのが難しかったりする。またミット打ちの相手をしてくれるトレーナーさんたちは、パンチの時にミットを力強く押し返してきて、その力の方が自分のパンチより強いので、手首が折れそうになる。だが、それらの痛みが、一方では心地よかったりもする。さらに、ファイトバックする感覚というのも痛みに抗う中で芽生えたりする。この感覚がどういうものに起因するのか、いまだに言語化が難しいのだが、なんというか、自分が生きている感覚というか、自分の魂が自分の体にちゃんと繋がっていることを、痛みを通じて実感でき、それが自分にはいい作用をもたらしている気がするのである。

もう一つは「自分はバリ弱い」ということである。自分が通っているジムは原則スパーリングがなく、入会当初自分は「もしスパーリングしたくなったらどうしよう」と心配していたのだが、隣で若い兄ちゃんたちが、ものすごい形相で、ものすごい音を出しながら、ものすごい速さでサンドバッグに打ち込む様を見て「勝てるはずがない」とわからされた。なんなら女性の方が自分よりも遥かにいい音を出してサンドバッグを蹴っているのである。スパーリングしても相手にならず、ボコられるだけである。しばらくはサンドバッグとミットに打ち込むだけで十分である。

キックボクシングを始める前の自分は、手足を縛られている状態で生きていたように感じられる。何か揉め事の火種を察知した時に、手足を縛られている状態だと、選択肢が弁論により和平を求めるか、死んだふりをするか、相手が気が済むまで殴られるなど、心理的なストレスが高いものばかりに限られる。それがキックボクシングを始めることで、ファイトバックする感覚、先手を撃つ感覚、あるいはスウェーで避ける感覚など、単純な選択肢が増え、揉め事の火種に対して、それほどビクビクしなくなる。

アラフォーだが、自分はまだまだ強くなりたい。隣の若い兄ちゃんたちに匹敵するくらいのパンチやキックを打って、ド派手なサウンドをサンドバッグから響かせたい。強くなった暁にはスパーリング大会にも参加してみたいが、それはまだまだ先の話になりそうである。最強までの道のりは長い…

あれほど暴力的なことが苦手な母だったが、意外にも、キックボクシングに通い出したアラフォーの息子を快く受け入れてくれている。偏重した子育てではあったが、母の子育てに懸ける思いは凄まじく、自分の全エネルギーを投入しているような子育てであったが、そこまでしたにも関わらず、子供達が揃いも揃って社会に出てから苦戦している様を見て、反省が苦手な母が少しずつ反省し、理解できないものを自分の中に取り込もうとしているような気がする。孫が仮面ライダーオタクになっていることに戸惑いを感じながらも、息子にしたようにそれを取り上げることなく、一緒に仮面ライダーごっこに付き合い、孫のキックやパンチの受け手になっている。

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