俺ダサすぎる

なんか色々自分がダサいな〜と感じる今日この頃。

何がダサいってgmailのアドレスがダサすぎる!研究をしていると、基本的には職場のemailアドレスを使うのだが、職場のサーバーが停止したり、緊急事態の際にしばしばgmailアドレスを使うのだが、それがダサいのだ。

大人になると、基本的に自分の名前が入ったアドレスを使う。田中太郎さんだったらtaro.tanaka@みたいなアドレスになるのだが、自分のgmailアドレスはよく分からない暗号みたいな感じだのだ。それがランダムに作られた物だったらまだいいのだが、自分で改変して何かの単語をもじった感じになっている。

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高校の頃は、何か自分の好きなものを、みんな携帯のアドレスにしているが、大学生の頃にその名残のまま、gmailアドレスもそんな感じにしてしまったのだ。そして不幸なことにgmailアドレスは一度作ると変えられない。

厳密には変えられるのだが、そのダサいアドレスのまま仕事を始めてしまったため、今更変えるわけには行かなくなってしまったのだ。時折、「このアドレスどういう意味?」と意地悪なことを聞いてくる人がいるのだが(別に意地悪ではないが、後生ですから聞かないで)、その度に恥ずかしい思いをする。毎度なんとか適当に誤魔化しているのだが、その度に自分のダサさを痛感する。タイムマシーンがあったら戻りたい瞬間に「gmailアドレスを作るとき」がベストテンに入ってくる。それくらいgmailアドレスが恥ずかしい。

「自分みたいにダサいgmailアドレスを作ってしまった人はいないかな〜」と時折探すのだが、みんな自分の名前をもじったものにしている。みんななんて先見の明があるのだろうと感心する。

人の話をあまり聞かないからか、流行に疎いからか、そういう「なんか恥ずかしい」という思いを人よりも多くしているように思う。今日もみんなが参加したセミナーに自分だけ忘れていて参加していなかった。NIHに来てからいったい何度、みんなが参加するセミナーに参加し忘れただろうか。

自分は、朝礼とか、1人の人間がみんなに話しかけるタイプのものが苦手で、たいてい開始1分足らずで集中力が切れて、他のことを考えている。一対一の話なら聞けるのだが、一対多数の話はほぼ聞いていない。学校の授業もまともに聞いた試しがない。大抵、授業で何も聞かずに、テスト週間になると、自分で教科書を読んでテスト勉強していた。

メールも個人に当てられたものならちゃんと見るのだが、全体へのメッセージはなんか関係ないと思ってしまうのか、見落としてしまう。だからみんなが参加するセミナーに参加することができないのだ。みんなが集団で帰ってくる際に、自分1人でその現場に出くわすということが本当に多い。小学生の頃からそうだ。

小学生の頃、朝礼で次の移動場所が体育館だと、はっきりと言及されていたのに、自分は聞いていなくて、1人で教室に帰ってしまった。しばらくして、誰も帰ってこないことに気がついて、慌てて探し回って、クラスのみんなが体育館から戻ってくる時に出くわす。あれほど恥ずかしいことはない。

高校の時も、先輩たちの最後の試合が終わって、コーチとみんなが一人一人最後のスピーチをする時、これもまた聞いていなくて、自分は駅に向かっていた。誰もいないことに気がついて、試合会場に戻り、だいぶ遅れてしれ〜っとその現場に戻った。当時入部したての1年生で、存在もあまり認識されていなかったので、どうこう言われることもなかったが、1年生の分際で3年生の最後のスピーチをほとんど聞かないという暴挙を犯してしまった。

なんかぼ〜っとしているのかな〜と自分でも思う。周りからは「あいつはボケっとしてて何も気にしていない」と思われているのかも知れないが、今日までしっかりと記憶していることから、決して気にしていない無神経なやつではないということをわかってほしい。ただ、話を聞いていない、というか聞くのが苦手なのだ。大事な情報も右から左へと受け流してしまう。

きっと死ぬまでこのままなんだろうな〜。

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