先週は中秋の名月であった。帰宅して夕飯を食べていると、母が「月が綺麗だ」とベランダに促してくれた。
中秋の名月には忌まわしい記憶がある。
学生の頃に在籍していた研究室には「学生やスタッフが一緒に食堂で食事する」という文化があった。それは教授が「みんなが仲良しな研究室」というイメージを定着させたく考案した文化であった。だが、実際のところは、学生たちは仲良くなく、派閥に分かれて、自分を含めカースト下位の学生たちが離れた席の先輩たちから陰口を叩かれるのを耐え忍ばなければならない、苦行そのものであった。
昼食は女性の学生やスタッフも交えて行っていたのだが、夕食は主に男性のスタッフと学生だけで行っていた。当時の研究室には女性は7時に帰っていいという暗黙の了解があったが、男性は夕食も大学近辺でみんなでとり、その後もしばらく研究室に残らなくてはならなかった。
当時、研究室でのカースト最下位だった自分は、後輩がいるにも関わらず、食堂に行くための点呼係を気づいたらやらされていた。自分がみんなに元気よく「お昼行きましょう」と呼びかけても、基本的に返事はなく、あったとしても無愛想な生返事のみであった。
食事の後は、間食を買うためにみんなで隣の売店によるのがルーティーンであった。自分が買うものがなく、早く研究室に戻りたいときも、自分よりカーストの高い後輩に合わせて、後輩が立ち読みするのを終えたり、お菓子を買ったりするのを辛抱強く待たなくてはならなかった。逆に自分が待たせる立場の時は、みんなからすごく不機嫌そうにされ、「すみません、すみません」と言いながら急いで輪に戻っていた。自分が待つ立場の時は決してそのような気遣いがなされることはなかった。
博士課程の頃、同期や後輩と夕食に行った帰り道、中秋の名月が綺麗で、自分は立ち止まって、写真を撮った。当時付き合いのあった病んで引きこもっているMちゃんを励まそうと思って、綺麗な月の写真を送りたかったのである。
その時間、せいぜい1~2分だったと思う。気づいたら、後輩や同期は写真を撮っている自分を待たず、歩みを止めず、研究室のある建物に戻ってしまっていた。
些細な出来事なのだが、自分は怒りに震えていた。今まで、何十回、何百回、後輩の都合に付き合って自分は彼らを待たなくてはいけなかったのに、自分はたった一度、月の写真を撮るための数分すら待ってもらえず、置いてけぼりにされてしまう。怒りと失望と情けなさとでいっぱいで、心底この環境から逃れたいと思った。
せっかく写真を送ったMちゃんからも「月を見ている余裕はない」と何の気遣いもないどストレートな返事が帰ってきた。
「メンタルが不調なのはわかるが、他人の善意に対してもう少し気遣いを見せられないものか?でも、自分は病んだことないし、実際に病んでみるとそれだけ余裕がなくなるんだろうな…」と当時すでに自分自身が自覚のないまま病に侵されている状態だったが、ショックな出来事を前に自分自身を懸命に納得させようとしていた。
あれからアメリカに留学し、カウンセラーさんに出会い、青春を謳歌し、地元に帰ってきて、いまだに病と闘いながら研究生活を送っているが、彼らとの縁もきれ、共に綺麗な月を眺めてくれる家族がいる。
絶望しきっていた学生時代であったが、とりあえず長く生きてみると状況は変わるものである。
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