今年もあと一ヶ月。今年は自分一人の力では対応できないパニックを経験し、うつ病・パニック・複雑性PTSDへの向き合い方に非常に大きな進展のあった年であった。2015年に病を発症してから、10年経って、初めて精神神経科に通い、デエビゴ錠の服薬を始めた。医療機関にサポートしてもらっている実感というのは、やはり心理的にかなり安心感があり、以前より余裕を持って仕事に臨めている感じがする。また、新しく通い始めたカウンセリングで、ポリヴェーガル理論に出会い、自分が患った病の正体をより明瞭にイメージすることができるようになった。
相変わらず、パートナーはおろか、女性の知り合いすら今年も増えず、パニックへの対応と仕事をするのが精一杯の年であったが、キックボクシングを始めるという念願が叶えられた年でもあった。また週末はランニングをすることも増え「体を鍛えたい」という欲求が自分の中で大きくなりつつある。少しずつではあるが、自律神経の状態が上向いているのではないかと考えている。
40代に近づいてきて、子供を持てる可能性とか、ウキウキする恋愛をできる可能性とか、20代の頃は疑いもせず当たり前のようにあったものが、何一つ手にできないまま失われつつあることを時折無念に思う。
病を発症した20代中頃は、何かから脱却できることを、苦しみから逃れられ、その先には「成功」があるということを、絶望しつつある状態であったが、心のどこかで信じていたように感じる。だからMちゃんとの交流も、元教授との交流も自分のエネルギーを投じて、続けていた。
彼らの存在は、自分の中でとてつもなく大きなもので、「自分の人生そのもの」であったと言っても過言ではない。境界性パーソナリティのMちゃんを救うこと、自己愛性人格障害の元教授に認められること、それが自分の人生の至上命題であるかのように錯覚し、そのことばかりを考え、20代と30代半ばまでの10年以上の時間とエネルギー、全てを費やしてきた。
学生時代に所属していた研究室は、当時の研究科内ではトップの研究室で、自分たちの存在はどこか一目を置かれていたような感じであった。実際、自分の研究業績は同級生の中では首席であった。当時研究室に所属していた先輩後輩同期も、将来的に大成することを、頭のどこかで感じていたようで、「将来教授になる」とか「ノーベル賞をとる」とかビッグマウスを頻繁に叩いていた。自分も含めて。
病を発症してからは、完全に自信と意欲を失ってしまい、そのようなことを口にすることはなくなり、「研究者をやめたい」と周囲にこぼすことが増えた。だが、母はそう簡単に自分が舞台から降りることを許してくれず、アメリカ留学時はほとんど惰性で研究活動に取り組んでいた。逆に、パワーを失った自分にとっては、元気なライバルたちに対応する術がなく、先輩や同期の研究での活躍が怖くなり、彼らの活躍がパニックの引き金になったりもした。
その後も病と闘いながら、惰性で研究活動を続けていたが、日本に帰ってきて、日本のアカデミア環境がパニックの引き金となり、通院を始めた。年齢はアラフォーになり、早い人ではとっくにPIになって活躍し始めている。もちろん、大半の人が結婚していて、子供がいる。
アメリカにいた頃も周囲に優秀な研究者はたくさんいて、知り合いも何人もPIになったりしたが、国籍も人種も異なることもあって、どこか自分とは異なる世界の話のように感じられた。だが、日本に帰ってくると、自分より優れた日本人研究者がたくさんいて、自分の劣等性がよりクリアに認識される。
研究科内トップの研究室で首席だった自分や先輩たちの話も、所詮は地方大学の話。学生時代からNatureやScienceといったトップジャーナルを持ち、ポスドクとしてもトップジャーナルを出し続ける天才もゴロゴロといる世界である。
田舎で最強だった私たち。どこか大きな物語を生きていると錯覚していたが、そんなものはまやかしで、私たちの研究も、努力も、大きな潮流の中に埋もれてしまうような微々たるものであったのである。
先日、自分にトラウマを植え付けた、パニックの引き金となっている先輩の一人が、アカデミア研究業界を辞めたという話を風の噂で聞いた。優秀な業績を持つ人であったが、上には上がいて、家庭を持ち体力が落ちてくる中で、不安定なアカデミアポジションのままモチベーションを維持するのは簡単なことではない。出身研究室も研究科内で悪評が広まったり、外部から優秀なPIが参入したりして、今はもはや、研究科内でもトップの研究室であるとは言えなくなった。トラウマ的で悪のラスボス的なような彼らの存在も、自分の頭の中で支配力を失い、トラウマと呼べるほどのパワーもなくなってきたのかもしれない。
Mちゃんとも4年前に別れて、もう何の足枷もないはずなのであるが、いまだに恋愛再開できていない。
「研究者としてビッグになり、Mちゃんを救い、彼女の救世主となる」みたいな大きな物語の中にいたはずだったのだが、そんな物語は初めから存在しなかったようだ。
私の頭の中の世界は崩壊した。
人を怖がらせることだけに才能のある、クリエイティビティーが乏しい人たちを、本来は恐れるに足らないような、小さな物語の世界の登場人物を自分は10年以上も恐れ続けて、自律神経が完全に狂い、研究がパニックのトリガーとなるまでに至ってしまい、プライベートでも恋愛できる状態まで脳の状態が戻らない、情けない自分だけが、ポツンと世界の片隅に取り残された。
ただ、多くの可能性を失い、物語の喪失というカタストロフィーを経験した自分であるが、最近自分に対して立派だなと感じることがある。それはどんな状況でも自分がコツコツと目の前の仕事をやり続けているところである。
NIH時代など、研究室は牧歌的でゆるゆるで、ボスもあまり研究室におらず、監視もほとんどなく、正直多少ズル休みしても全く問題なかったのだが(実際、他研究室の知り合いの日本人はズル休みしていた)、渡米直後の自律神経の状態最悪な、常時トラウマメモリーに頭を支配されている状態の自分でも、1日もズル休みをしたことがなかった。Mちゃんに無惨にフラれた時も、悲しみに浸りながら、ごくごく淡々と仕事をしていた。
それは日本に帰ってからも変わらない。パニックを経て、通院を始めてからは、今に至るまで、ちゃんと仕事を続けている。
10年以上前、まだ病を発症する前、Mちゃんとの会話の中で、自分がこんなに元気に研究を頑張れているのは、自分の成績がよくて、調子がいいからなのではないかと感じていた。挫折を経験し、学校にも通えていないMちゃんを目の前にして、調子のいい自分に対し、「元気でごめんなさい」とどこか罪悪感を感じたりもしていた。
だが、調子が悪くなっても、身の回りに自分より成績の優れた研究者がたくさんいても、結婚して子供のいる研究者がたくさんいても、自分は不機嫌にもならず、周りにあたったり、自暴自棄になったりせず、実家通いではあるが、劣等生として淡々と仕事をし続け、目の前の責任を果たしている。
若かりし頃にあんなに頑張れていたのは、何も自分が調子が良く、成績が他より抜きん出ていたからではなく、そういう優越感を原動力やモチベーションにしていたわけでなく、自分はどんな状況でも目の前の責任を果たす、真面目でタフな人間なのである。
今後、この物語がどう展開していくかはわからないけど、これからもできることをできる範囲で淡々とこなしていくんだろうなと、そう信じている。

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