先月は、ボスから叱責されることが多く、仕事も忙しくプレッシャーも多く、過覚醒が頻発し、2日間休みをもらい、土日も合わせて、計4日間完全に研究から離れた。土日もラボに行ったり、家でデータまとめしていることが多く、4日間も完全に研究から離れたのは久しぶりかもしれない。
感情的な穏やかさが少ない今のボスは、自分への要求がどうしても、一方的というか、押し付ける感というか、突き放す感を伴い、それが複雑性PTSD持ちの自分のトリガーになり、過覚醒が起きやすくなってしまう。今回に関しては言っている内容は最もで、立場的にも口調的にもなかなか反論しづらいもので、それがなかなかのストレスだった。だが、一人の大人として、もう少し感情的に成熟したコミュニケーションが取れないものかとボスに対して不満も抱いてしまう。
今回、連続して叱責された原因は、自分のボスとのディスカッションやコミュニケーションの少なさにあった。
学生時代の教授は研究にあまり興味がなくなってしまい、もう研究のディスカッションをする感じではなかった。
NIH時代はビッグラボに余剰金で雇われたみたいな、金持ち大家族の末っ子みたいな感じで、特にディスカッションを頻繁にすることなく、欲しい試薬は何でも購入させてくれ、自分のラボミーティングの担当時にまとめてデータ発表し、よほど面白いデータが出た時だけ、PIとディスカッションしていた感じだった。ただ、他のラボメンバーは、人によっては毎日のようにPIとディスカッションしていて、一体何をそんなに話すことがあるのか?と自分は疑問に感じていた。
ただ、自分がPIとあまりディスカッションしないのは、自分のアダルトチルドレン的な素養が大きいのではないかと思う。感情的にヒステリックな両親に育てられた自分は、無意識のうちに「大人や目上の人は危険な存在」と認識しているのだと思う。中高の部活動時代や、これまでの研究生活を含めて、自分は先輩と言った存在から可愛がられた経験がない。それは自分のアダルトチルドレン的な素養により、無意識のうちに目上の人に対してバリアをはり、かしこまった態度をとってしまっているからかもしれない。自分が得意なのは、同学年と後輩だけである。
今のボスとディスカッションを避けていたのも、ディスカッションすると、こちらの都合お構いなしに実験をねじ込んできたり、土日出勤するように誘導してくるということがよくあったからで、言い訳したいことは山ほどだった。
ただボスが言ったことは「研究もディスカッションも戦いの場であり、勝負の場であり、”怖いから”みたいな理由でディスカッションを避けているようでは困る。ちゃんと心して、腹に力を入れて、根性を入れて研究に臨め」というようなことであった。
人生40年近く生きると、出会う人間の種類というのはある程度コンプリートされてきて、新しい人に出会っても「この人は昔会ったあの人に似ているな」とか「この人はこういうタイプだな」とか分類できるようになってくる。だが、今のボスは自分があまり出会ったことのないタイプであった。
強いて言うなら高校のバスケ部時代の一個上のG先輩という人に似ている。G先輩はわがままで自己中で、攻撃的で、ヒステリックでサディスティックで性格は最悪なのであるが、バスケットボールは誰よりもうまく、勉強もでき、1年生のうちからスタメンであり、県の選抜チームにも選ばれており、同学年はおろか、先輩に至っても怖くてうかつに手を出せない存在で、腫れ物に触るかのように扱われていた。自分も何度G先輩から罵倒されたりいじめられたりしたかわからない。
今のボスもG先輩も「味方がレベルが低い」ことに対してキレるという共通点がある。G先輩は練習中、監督が見ていようが誰が見ていようがそんなことは構わず、できないチームメイトに対して「お前なんでそんなこともできひんねん!」とか「何回言ったらできるようになんねんボケ!」とか「そんなんされたらチームの士気が下がんねん!」とかそういった怒号を烈火の如く浴びせていた。逆にチームメイトが本当に成長したり活躍したりした場合は「すごいやん!」とちゃんと褒めたりもしていた。だが、トータルで見た場合、G先輩の高い基準について来られた人よりも、着いていけずに自信を失ったり、やめたりする人の方が多く、G先輩が3年生の頃の総体の時期にはチームが疲弊し、あまり良い結果は残せなかった。
G先輩はチーム内で誰よりも速く、スピードスターで、怖かったし、あまりに罵声を浴びされれるし、見た目もディスられるし、練習技を隠されたり意地悪もされたりと共に過ごすにつれて嫌いになったが、バスケのプレー面では畏怖していた。1on1ではほとんど誰にも負けず、有名な大学でプレーしているOBが練習に参加した時も、1on1で普通に勝っていた。
自分自身に求める基準も相手に求める基準も異様に高く、実力至上主義で、この世を競争として見ていて、結果モラルが置き去りになる。そういう部分が今のPIとG先輩とで非常に似ている。今のボスは高校生で無いし、ラボは職場で部活では無いので、罵倒言葉を用いてラボメンバーを追い詰めるということは流石にないが、メンタリティーという面では非常に似ている。
その類似性に気がついてから、高校時代の試合の動画でG先輩のプレーを見たり(改めて見返しても、G先輩のプレーはすごく、当時は気が付かなかったが、足の速さだけでなく判断の速さも高校生離れしていた。とにかくせっかちで気持ちが前のめりで、自信家で迷いがない)、思い出に耽ったりしているうちに、「日本の研究は仕事というよりは部活だな」と思い始めた。
夜遅くまで残って、一人より多く実験(練習)するのも、土日に来て実験(練習)するのも、ライバルよりも実力をつけ、レギュラーを獲得(論文を出す)ための手段であり、競争に勝つために必要なことなのである。仕事だと思うと、残業代も休日出勤手当も出ないからつらくなるけど、部活だと思うと、実力アップのための自主練なんだと納得でき、多少のオーバーワークも受け入れられる気がする。
つい先日、Academia is just a jobという記事が話題になった。これはアカデミアが自分のように精神を病む人を大量に生み出してしまうため、そうならないために、もっと気楽に行けという非常に愛の溢れる、優しいメッセージである。実際のところ、長く研究室にいると、短期的に超人的な集中力を発揮して仕事をする人よりも、9時5時で土日しっかり休みを長く継続できる人の方が、研究というマラソン的な要素が多い仕事を考えた場合、ラボにとってありがたかったりする。もちろん、ハードワーク、オーバーワークを長期間続けられる人の方が生産性は高いのだが、その能力がある人は稀で、それを強制させられると、大抵人は中途離脱してしまう。Academia is just a jobという言葉は、アカデミアを愛し、悩んで、諦めなかった人が、アカデミアを愛し苦しんでいる人に向けて、紡ぎ出した言葉のように感じられる。
自分もAcademia is just a job派である。実際、NIHでは公務員的な働き方をしていて、それでもトチ狂った働き方をしていた学生時代より業績を残せた。だが、この働き方はPIが成熟していたり、予算やプロジェクトや仲間に恵まれていたり、いろいろな要素が絡み合い生み出された幸運だとも認識している。
アメリカから帰ってきて、その間にコロナとか安倍晋三銃撃事件とか色々あって、日本も変わってきて、学生時代ほど狂った働き方を継続している研究室は少なくなっているように感じる。だが、依然として日本のアカデミアはjust a jobモードではない。
日本のアカデミは部活であり、我々はインターハイ(トップジャーナル)に出場するために、日夜特訓(実験)に明け暮れているのである。
このアイディアを思いついてから、しばらくの間、バスケ部時代のチャントが頭に鳴り響きながら実験していた。アドレナリンもいつもより多く出ていたと思う。
「ディフェンス一本それ、(パーパパーパパー)、ディーフェンス、ディーフェンス、圧勝ディーフェンス、(パーパパーパパー)」
「もーえーろ!(バン!)、もーえーろ!(バン!)もえろもえろ、もえろうつなま〜!」
「いいぞ、うつなま、3点シュー!3点〜3点〜3点〜、3点〜3点〜3点〜、いいぞ、うつなま、3点シュー!」
そんなチャントと共にミニプレしていた。
でも、私はもうアラフォーであり、高校生ではない。瞬間的にアドレナリンは出るけど、持続しない。
何より、アカデミアの世界はスポーツの世界ほどフェアな世界ではない。実験結果が何点分の働きか、数値化できないし、ボスの言うこともコロコロ変わり、一つの結果を出しても褒められることも感謝されることもなく、不足分のみ指摘される(プロ野球選手だって、安打を打ったらそれが単打であろうが、ホームランであろうが、ハイタッチして、選手を褒め鼓舞している)。論文を小さくまとめるのか、大きくするのかも判断がその都度かわり、悪意なくそれを言っているのか、それとも自分に意地悪したくて、毎回ゴールポストをずらされているのか、その判断もできない。
そんなストレスが重なり、3月は過覚醒を経験することが多かった。緊急で医者にかかり、頓服薬の種類を見直してもらった。
寝れている時は特に考えないけど、過覚醒が起きるたびに、研究者を廃業、あるいは休業することを考える。もう続けてられないと、こんな意地悪耐えられないと、もう気持ちが持たないと、これまで何千遍もルミネーションしてきた。だから、これから先どうなるか、一年先の未来が読めないし、これからも過覚醒は訪れ、その度に研究者を辞めることが頭をよぎるであろう。
それでも、今回「アカデミアは部活である」と言うアイディアに至れたことは自分にとって有益なことであったように感じる。海外では日本の中高ようなほぼ全員参加型の部活動はないと聞くし、日本のアカデミアが体育会系になりがちなのも、日本の部活文化が一因になっているのかも知れない。
アカデミアの「PIがゴールポストを容易に動かせる」と言う特性上、これからも自分は仕事に苦しむだろうが、だからこそ、もう少し、利己的に仕事をしてもいいのかもと思った。PIといえど所詮は他人で、ポスドクのキャリアのことなど真剣に考えない、単なる捨て駒だと考えているPIもたくさんいるであろう。だからこそ、成果に過剰に期待せずに、経験にも重きを置く。エネルゲイア的に研究する。これを機に、何が自分にとって価値が高いものなのか、今一度整理してみようと思う。

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