もう実験が簡単だなんて言わないよ絶対

研究

キックボクシングを始めて二月ほど、いい感じで体調が上向いている気がする。初めの縄跳びも2分くらいなら休まずに飛べるようになってきて、キックやパンチもサンドバッグやトレーナーに負けないように、ファイトバックする感覚が芽生えてきた。キックボクシングでどれくらい複雑性PTSDが回復するかわからないが、しばらくは何も考えずに続けてみようと思う。

夏が終わる頃まで、実験で立て続けに失敗して、悩まされることが続いた。研究歴・実験歴は15年くらいで、自分の実験の腕にはそれなりに自信があったつもりであるのに、簡単な初歩的な実験に何度も連続して躓く。

実験の種類にもよるのだが、特に生き物を扱う実験は条件に対して繊細であることが多く、研究室を移ったりして環境が大きく変わると、以前の研究室と同じように実験してもうまくいかないことが多い。そういうことを学生時代の研究室から、アメリカの研究室に移った時、そしてアメリカの研究室から今の研究室に移った時の2度経験している。

中には実験の失敗の原因が解明されずに、迷宮入りとなったものもある。それくらい、実験というのは奥が深く、人智では簡単に説明できない原因によってコントロールされている。

この夏は酷暑やパニックの症状も相まって、実験の失敗が身体に応えた。朝ラボに来て、実験の失敗を確認するや否や、体が熱くなり、パニックになりそうになる。夜も実験のことが頭から離れず、夢の中でも実験している夢を見てしまう。

学生時代に複雑性PTSDを発症して以降、自分の体は実験結果に対し、極端に一喜一憂する身体にになってしまった。実験に成功すれば「自分は救われた」と感じ、逆に失敗すると「命が危ない」と危機に感じてしまう。アメリカにいた頃はボスも温和で平和的な雰囲気で、そのように感じる頻度は少なかったが、学生時代や今の職場のように、怖いボスがいると、「実験を失敗したことを告げると殺されてしまうのではないか?」と体が、本能がそう錯覚していて、パニックになりそうになり体が熱くなる。

それだけ、自分は研究に命を懸けてきた、いや、強権的なボスにマインドコントロールされて、気づいたら勝手に命を懸けさせられていたという表現が正しいと思うが、真剣さを通り越して、深刻になって研究者をしてきたということだと思う。

はっきり言って、もはや研究者向きの体ではないと思うし、この業界から足を洗って、体を人生を大切にすべきなんじゃないかと思う。

ただ、5月のパニック以降、デエビゴ錠を服薬するようになり、実験結果の失敗を見て、体が熱くなるものの、その程度や予後は良くなってきているように思う。自分は薬なしには研究できない体になってしまったようだが、それほどキツくない薬で今の状態が維持できているのなら、それはそれでいいのかなとも思う。

失敗が何度も続いた実験も、自分で試行錯誤しまくっているうちに解決策を見つけて、うまくいくようになった。アメリカにいた時もそんな感じで解決策を見つけて、今回も無事解決策を見つけることができた。試行錯誤して、仮説をたて、それを検証し続けるといずれはうまくいく(こともある)というが実験の確かな側面でもある。今回の経験は少し自分に対する自信にもなった気がする。

ただ、今後はもう、いくらキャリアを積んでも「実験が簡単だ」なんて言うつもりはない。簡単に見える実験も嫌と言うほど奥が深く、舐めてかかると簡単に欺いてくる。実験はいつの時代も鬼神を相手にするが如く困難で、心してかからないと、殺られてしまうものだと、そういう認識で挑むつもりである(流石にちょっと大袈裟)。

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